p_fさん のコメント
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官邸報道室は菅義偉官房長官の記者会見での望月記者の質問に対し、東京新聞に宛てた書面で「未確定な事実や単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせるような事態は断じて許容できない」として、再発防止を強く求めた。(産経新聞)
これは極めて深刻な申し入れである。
記者会見であるから、質問が事実と違う内容を含んでいたら、官房長官が「違う」と言えばいい。何ら国民に誤解を与えることにはならない。
重大なのは、「未確定な事実や単なる推測に基づく質問」を禁じようとしている事だ。
同時進行している様々な事件は全貌が解らない。当然推論に基づく疑問が出る。これらを禁ずることは、政府の言う事に何も質問させないということだ。
言論界で何らかの関与をする人は次の、マルティン・ニーメラーの言葉をかみしめるべきだ。
・ニーメラー財団による詩
ニーメラー財団は、 1976 年のニーメラーに対するインタビューを元
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朝日新聞 尾形聡彦 機動特派員著「乱流のホワイトハウス」読み、日本の官邸会見との違いに愕然。
「ホワイトハウス会見の際によくあるのは、政権が特定の記者やメディアを攻撃し始めたときに...他社の記者たちは一致してそうした政権の姿勢を批判し、その記者を擁護するのが常だ。
日本の会見では、質問はそれほど出ず、パソコンでメモをとる記者たちが懸命にカタカタとたたく音が会見場に響いていることが多い」
「気づいたのは、米国では力のある記者ほど記者会見という『表の舞台』での質問を大事にしているということだった...報道官の返答が不十分なときには、どのように切り返して、さらに議論を深めていくのか。そこに神経を集中させていた」
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こうした見習うべき米国文化は何時まで経っても頑なに学ばず、守るべき自国文化はさっさと捨てる。
米国と日本の悪い所を捏ねて団子にしたのが今の日本でないか。その象徴がアベということだ。
しかし、「ニュースの真相」という映画もあった。米国が十分健全とも思えない。
それにしても、目に余る中学生を著名ジャズマンがちょっとビンタしたくらいで「暴力は許されない!」と大騒ぎする日本のマスコミは、望月記者への深刻な「暴力」には完全スルーでは筋が通らないでないか。
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