官邸報道室は菅義偉官房長官の記者会見での望月記者の質問に対し、東京新聞に宛てた書面で「未確定な事実や単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせるような事態は断じて許容できない」として、再発防止を強く求めた。(産経新聞)
これは極めて深刻な申し入れである。
記者会見であるから、質問が事実と違う内容を含んでいたら、官房長官が「違う」と言えばいい。何ら国民に誤解を与えることにはならない。
重大なのは、「未確定な事実や単なる推測に基づく質問」を禁じようとしている事だ。
同時進行している様々な事件は全貌が解らない。当然推論に基づく疑問が出る。これらを禁ずることは、政府の言う事に何も質問させないということだ。
言論界で何らかの関与をする人は次の、マルティン・ニーメラーの言葉をかみしめるべきだ。
・ニーメラー財団による詩
ニーメラー財団は、1976年のニーメラーに対するインタビューを元
コメント
コメントを書く政府に取って都合の問題が出てきたときに、どのような対応をするか。その人物のレベルがあからさまに表れるということである。
この記者の発言態度がどのようであったかは問われるところであるが、1975年生まれなので42歳ぐらいでしょうか。就職難で、大学生だけでなく、就職率など最低の時代で、ワークシェアリングで、年寄りも若い人も歩み寄ることが大切ではないかと思いましたが、年寄りが歩み寄ることなく、多くの若者が底辺に置き去りにされたのです。はっきり言えることは、この時代、社会が、社会に船出しようとする人を見殺しにしたのです。
菅官房長官は、苦労人と聞いているが、42歳といえば、これから、会社で力を発揮し、日本のために働いていただかなければならない人なのに、政府が権力でつぶそうとする。時代背景と権力で、人をつぶすのでなく、福田元首相が「あなたたちとは違うんです」と記者をどやしたことがありましたが、孫崎さんご指摘のように、「違う」と言ってあげれば男らしいのに、陰で陰湿に「イジメ」に等しい行為をするなど、学校と同じことをしてどういうつもりなのでしょうか。
望月記者のツイート-
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朝日新聞 尾形聡彦 機動特派員著「乱流のホワイトハウス」読み、日本の官邸会見との違いに愕然。
「ホワイトハウス会見の際によくあるのは、政権が特定の記者やメディアを攻撃し始めたときに...他社の記者たちは一致してそうした政権の姿勢を批判し、その記者を擁護するのが常だ。
日本の会見では、質問はそれほど出ず、パソコンでメモをとる記者たちが懸命にカタカタとたたく音が会見場に響いていることが多い」
「気づいたのは、米国では力のある記者ほど記者会見という『表の舞台』での質問を大事にしているということだった...報道官の返答が不十分なときには、どのように切り返して、さらに議論を深めていくのか。そこに神経を集中させていた」
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こうした見習うべき米国文化は何時まで経っても頑なに学ばず、守るべき自国文化はさっさと捨てる。
米国と日本の悪い所を捏ねて団子にしたのが今の日本でないか。その象徴がアベということだ。
しかし、「ニュースの真相」という映画もあった。米国が十分健全とも思えない。
それにしても、目に余る中学生を著名ジャズマンがちょっとビンタしたくらいで「暴力は許されない!」と大騒ぎする日本のマスコミは、望月記者への深刻な「暴力」には完全スルーでは筋が通らないでないか。
日本は米軍部によってハイジャックされているのに日本人は気付いていない。それはそれは不思議なハイジャックなのです。菅氏たちが日本国民に対してやたらと反動的になっている理由は頭を抑えつけている米軍部の存在にあるんじゃないでしょうか。
昔、似たようなことがあったじゃないですか。孫崎先生のお話に出て来るのですが、吉田首相が帝国ホテルの裏口からこそこそ貧相な態で入って行って将軍の副官の指示を仰いだという事実です。そして、国会ではその卑屈から来るフラストレーションを解消する為の如く必要以上に尊大に振る舞った。それと似た心理が自民党4人組にあるのではないでしょうか。
日本はナチみたいには絶対ならない。何故なら、日本は既に米軍部独裁国家ですから。メデイアは日米同盟とか大きなことを宣伝して対等を示そうとしているが、それは見せかけだけで、周辺の仮想敵国は十分そのことを承知していると観なくちゃいけません。