younghopeさん のコメント
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先ず、ドナルド・キーンの論評の中に出てくる歌を見てみたい。
・額出王:あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
・柿下仲麻呂:家ならば 妹が手まかむ草枕 旅に臥やせる この旅人あわれ
・柿下仲麻呂:草枕 旅の宿りに 誰が夫か 国忘れたる 家待たまくに
・仲麻呂:君がため 手力疲れ織りたる衣ぞ 春さらば いかなる色に 摺りてば良けむ
・作者明記なし:水の上に 数書くごとき わが命 妹に逢はむとうけひつるかも
・依羅娘子:今日今日と 我が待つ君は 石川の 貝にまじりて ありといわずやも
・大伴旅人:ここにありて 筑紫やいづち 白雲の たなびく山の 方にあるらし
・山上憶良:世の中を 憂しとやさしと 思えども飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
・大伴家持:春の野に 草食む駒の 口止まず 我を偲ふらむ 家の児
・山上憶良:世の中を 憂しとやさ
歌い手は、天皇、貴族、下級官人、防人など幅広い。
律令制度で身分制度が固められていない時代、「歌の前には平等」で、「言霊」が感じられる歌が取り上げられ、歌会始には、だれでも参加できたようだ。
汚れていない自分の気持ちを、ただ直截に、率直に表現したので、何人の気持ちにも訴えることがあるのでしょう。
「右翼」にそれがあるかとの問いかけは、体制に言論の自由を認める風土があるかどうかを、問うているのでしょうか。体制の問題であれば、「左翼」でも同じことがいえる。残念ながら何を基準にしているかを理解できない。
はっきりしていることは、どんな体制であっても、望月記者のように抹殺に等しい権力行使をすることは、日本民族の精神に劣るということはできるでしょうか。
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