フレデイ タンさん のコメント
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アイゼンシュタットは1923年ワルシャワ生まれ。ヘブライ大学教授。ハーバード大学、スタンフォード大学等で客員教授。『日本比較文明論的考察(二〇〇四年岩波書店)』
からの引用
・明治国家の最大の特徴は、驚くべき速度で、高度な政治的・行政的中央集権が達成されたことである。行政の中央集権化は、幾つかの段階を経ながら、次の三つの特徴を備えていった。(1)統合の中心的権威としての天皇の名における支配、(2)統合的な中央官僚制による直接支配、(3)国民皆兵制、士族の廃止、統一的権利の制定における国民の平等。日本は何百もの大名の支配から統一国家へと姿を変えていく。江戸時代の半自律的な地方権力や法的伝統は、全国共通の法制度によって取って代わられ、中央権力が全国津々浦々に浸透していった。
・明治日本の新しい政治制度の設立は、欧州の国民国家における国家建設の過程と似通っていた。いや、多くの点
当時の日本は欧米列強の侵略(今の北朝鮮みたいな心境に日本はあった)が目の前に迫ってあったし、支配層は侵略に抗する構え構築に急なことを要したことは想像するに難くありません。そして、当時の支配層はタイクーンからミカドへ忠誠の向け先変更を急ぎ、サムライを官僚と軍人に作り直すことに専念した。そして全体主義に向かった。これは明治維新の外部要因関連です。
では、内部要因関連は何なのか?やはり深刻な矛盾の存在を否定出来ません。江戸は徳川権力が安定してから100万人ほどの人口を抱えるに至っている。こんな人口的大都会は世界には無かった。その殆どが田畑を放棄して流れて来た困窮の無産階級です。大坂は人口こそ江戸ほどでは無いが、その規模は世界有数です。為替、貨幣の流通、商品の先物取引諸々、西欧に負けていません。資本主義は江戸、大坂で極度の高さに達していた。そのままほっておくと、カールマルクスも真っ青のになる自然発生のプロレタリア革命(1870年のパリコミューンみたいなもの)が起きていたかも知れない。
明治政府が富国強兵(現在合衆国がその政策を取っている)、国有企業設立を急いだのは支配層が本能的に思いつく革命回避の窮余の策ではないでしょうか。
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