Mythe et poemeさん のコメント
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ラフカディオ・ハーンは著『神国日本』(一八八八年米国で出版し、日本では平凡社、一九七六年)から出版。その引用 356
・ 日本の教育 は、見かけは西洋風でありながら、大体において、これまでも、また今でも、外見とは全く反対の方式に基いて行われているのである。 その目的は、個人を。独歩の行動を出来るように鍛えるのではなく、個人を共同的行為にむくようにーつまり、厳しい社会機構の中に個人が妥当な位置を占めるのに適するようにー訓練を施すことであった。 我々西洋人の間では、強要抑圧は子供時代に始まり、その後徐々にゆるめられる。極東のこの国での強要抑圧は、もっと後になってから始められ、その後だんだん締めつけが強まってゆく。
・クラス生活の調整は、多数に対し一人が独裁力を振るうという事ではない。多数がひとりを支配していくというのが常道であり、-その支配力たりや実に強烈なものであるー意識的にしろ無意識的
逆に言えば、江戸期までの民衆のほとんどは、「国家」などと言うものをほとんど意識したことがないままに一生を終えた。
歴史家の網野善彦は、江戸期までの民衆の暮らしぶりの多様性、女性の自由・自立度の高さなどを文献で立証した。
歴史への炯眼をもってなる両氏のいうところからすれば、「国家」と言う圧力釜で「国民」を一律化し、戦争に行く場合にも「死んでこい」という言い方がなされるような、つまり、国民は人間以下の道具のような存在であるような、そういう重量感のすさまじい国家が形成されたのは明治以後だと考えるのが自然だろう。
今だに人びとが時代劇のなかにのんびりした庶民生活の面影をなつかしんだり、あるいは、江戸落語の登場人物たちにノスタルジックな懐かしみを感じたりするのは、「国家」以前の、江戸の生活の記憶が文化の中にはかろうじて残っており、それを捨て切れずにいるのだろうか。
ハーンは、その江戸の雰囲気を十分に知っていたはずであり、彼が批判しているのは明治国家の官僚と官僚制度がしだいに国を変質させつつあることを感じたからではなかったか。
いずれにしても、海外からもどって東京の雑踏にはいると、人間の姿かたちや立ち居振る舞いの画一性にめまいをおぼえる。なにか、みなが同じ方向に、同じようないでたちで、同じような顔をして歩いている。その不気味さ。
しかし、それは、全体としてのパワーを発揮するようなたぐいの何かではなく、個を殺すような傾向の空気なのである。
日米戦争の敗戦後、一瞬だけ、その重さが蒸発して自由な空間が訪れたことは、いろいろな人間が証言している。焼け跡には自由な、輝ける空気があったという。あの、悲惨な焼け跡の方が戦前の軍国主義の重さよりも輝いていたという人がいるくらいだから、戦前のかの国の異様さは想像を絶したのである。
いろいろ調べていると、1960年から70年代に社会の中軸をになっていた人びと(孫崎さんの世代)には、むしろ、上の言うことに逆らうような自立タイプ(いわゆる「豪傑」)がどの分野にも少なからずいたという印象である。つまり、集団に従わないタイプであり、「一匹狼」とも「アウトロー」とも揶揄されがちなタイプである。作家でいれば辺見庸が典型だろう。
こういうタイプが今は絶滅した。
そして、戦後生まれが社会の担い手となってから、つまり安倍、野田、前原といった世代だが、日本が三等国にしか見えない情けない国家になり下がり続けている。この時期から対米従属がまるで正しいことのように思う人びとが多数の国になっており、そして、同時に「失われた10年」「失われた20年」「失われた30年」の時代に突入してしまった。
自立なくして国家の繁栄なしである。
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