matusiroさん のコメント
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ラフカディオ・ハーンは著『神国日本』(一八八八年米国で出版し、日本では平凡社、一九七六年)から出版。その引用 356
・ 日本の教育 は、見かけは西洋風でありながら、大体において、これまでも、また今でも、外見とは全く反対の方式に基いて行われているのである。 その目的は、個人を。独歩の行動を出来るように鍛えるのではなく、個人を共同的行為にむくようにーつまり、厳しい社会機構の中に個人が妥当な位置を占めるのに適するようにー訓練を施すことであった。 我々西洋人の間では、強要抑圧は子供時代に始まり、その後徐々にゆるめられる。極東のこの国での強要抑圧は、もっと後になってから始められ、その後だんだん締めつけが強まってゆく。
・クラス生活の調整は、多数に対し一人が独裁力を振るうという事ではない。多数がひとりを支配していくというのが常道であり、-その支配力たりや実に強烈なものであるー意識的にしろ無意識的
今、教育現場をよく問題にされますが、基本的な原型は社会の現場、すなわち職場にあります。「しっかりした企業」は、労務管理のプロと警察の天下りを職場管理に専念させています。社員は頭の片隅には必ず「会社は自分をどう見ているか?」「【誤解】されるようなことはないだろうか?」と言う意識を置いて仕事をしています。だから、自分の自覚的な意思だけでなく他動的な意思でも働き、過労死や鬱が続出しているのです。その実社会の反映が教育の世界でもあります。会社では、個性よりも強調性、教育現場では、団体行動重視。メデイアの芸人は「空気を読む」を暗黙の裡に重視します。
集団主義で得をするのは、一番上で命令っする人と、すぐ下で庶民を好きに動かす人です。あとは、強権を振るって協力する闇勢力です。もう、日本人も、この欺瞞的な”しかけ”に気付き、反撃を開始すべき時です。
なお、問1、2、3、4の回答は、NO2様と同じです。
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