りゃんさん のコメント
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伊丹 万作( 1900 年 1 月 2 日 - 1946 年 9 月 21 日)は、日本の映画監督。シナリオに『無法松の一生』『「戦争責任者の問題」の初出は「映画春秋 創刊号」 1946 (昭和 21 )年 8 月。つまり死のほぼ直前である・
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多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまさ
たしか書籍にも収載されていたはずだが、青空文庫で簡単に読める。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html
これを読めば、伊丹が「抜粋」で展開したロジックは、自分が誰かを糾弾するためではなく、自分が誰も糾弾しないためであったことがよくわかる。もっといえば、「自由映画人連盟の人たち」も誰かを糾弾なんかできませんよ、と言っているのだ。
だからこのロジックを使って誰かを糾弾するのは、伊丹の意図に反することである。
具体的事情を除いて純粋にこのロジックだけを考えれば、これは日本にだけあてはまったロジックではない。北ベトナムでも負ければ知識人はこういっただろう。北朝鮮が金王朝から解放されれば、北朝鮮人皆がこうしたロジックを展開するだろう。米国では、ふだんからある党派が別の党派をこのたぐいのロジックで批難し、ときには死人がでる。したがってこのロジックで過去や今の「日本だけ」を批判しても意味がない。
しかしそんなふうに考えていく能力のない人が、「抜粋」を読めば、ありとあらゆる「日本政府の」説明や行動にいちいち不信感をもち、ちょっとしたことでも糾弾し、だまされまいぞと思う情熱がたぎる。「オリジナル」まで読めば、そこまでは誘導されないだろうに。
では、だれが前後をきりつめて、「抜粋」をつくったのか。その答えを自分は知らないが、おおかた、戦後のいくつかの報道機関、あるいはそれと傾向を同じくする人々であろう。戦争当時は政府の意図に反して国民を戦争へと煽った、あの報道機関である。そこまで考えがすすむと、伊丹が書くように、「いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいない」のではないかと考えてみることは、本当に大事だとおもう。その「うそ」は日本政府ばかりが言うとは限らない。
・・・しかし、私が上に述べたようなことをなにも考えなくても、長く生きて人というものを知ったなら、戦後すぐの共産主義者でもない普通人が、あのようなロジックで人を糾弾したなどということがあるのかどうか疑問におもい、オリジナルを調べてみようとおもわないだろうか?その点は実に不思議だ。
年をとっても賢くならないのであろう。
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