伊丹 万作(1900年1月2日 - 1946年9月21日)は、日本の映画監督。シナリオに『無法松の一生』『「戦争責任者の問題」の初出は「映画春秋 創刊号」1946(昭和21)年8月。つまり死のほぼ直前である・
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多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつてくる。多くの人はだましたものとだまされたものとの区別は、はつきりしていると思つているようであるが、それが実は錯覚らしいのである。たとえば、民間のものは軍や官にだまされたと思つているが、軍や官の中へはいればみな上のほうをさして、上からだまされたというだろう。上のほうへ行けば、さらにもつと上のほうからだまさ
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>>4
なるほど、確かに。
>>5
伊丹万作の趣旨にのっとり、現代的状況に置き換えているだけ、お判りになれないのは残念です。
>>7
言いたくないけど、やっぱりあなたはどこかおかしいですよ。万作さんの趣旨とどう関連するか、指し示すのがこの種のブログに於けるブロガーとしての最低の義務だと思うんですがね!その様子が全く無い。自分の破廉恥が分かりませんか?「御気の毒」というしかありません。
>>8
あなたに説明する必要もないし、何を説明しろというのか、皆目わからない。様々な意見があって当たり前、何か、あなたは、ご自分の信条にあわないことに対して、反発する教条主義者なのでしょう。あなたもわかっているはずですが、あなたとは会話が合うわけないのに、ご苦労なことです。理解できないようで、お気の毒様はあなたにそのままお返しします。なぜ、そんなに気になるのでしょう。あなたのコメントなど興味もないのに、一方的なコメント不思議でならない。
日本人はだまされてなどいない。
あの時日本政府がしたことはそのまま日本人が望んだことだ。
そのことは前にかなり詳しく書いた。
だから繰り返さない。
oldjapさんにおおむね賛成。
政治家や軍人は悪い奴らだが市民は愚鈍ではあるが善人だと
いうのはまちがっています。
政治家や軍人に負けぬほど野蛮で凶暴です。
市民って。
関東大震災で朝鮮人虐殺に狂奔したのは市民でした。
それを命がけでとめようとした警官もいました。
前にも書きましたが、もう一度。
日本人は騙されてなどいません。
>>9
教条主義者という言葉が生まれた背景も知らずに良く言うわ。教条主義者と言えばし返したと思う単純な保守気取り。違いますか。これからもあなたの訳の分からない文章には懲りずに質問を展開します。
よく出てくる文章である。しかし孫崎さんはわざわざ「抜粋」と示しているのだから、「オリジナル」を調べてみようと誰もおもわなかったのか。
たしか書籍にも収載されていたはずだが、青空文庫で簡単に読める。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html
これを読めば、伊丹が「抜粋」で展開したロジックは、自分が誰かを糾弾するためではなく、自分が誰も糾弾しないためであったことがよくわかる。もっといえば、「自由映画人連盟の人たち」も誰かを糾弾なんかできませんよ、と言っているのだ。
だからこのロジックを使って誰かを糾弾するのは、伊丹の意図に反することである。
具体的事情を除いて純粋にこのロジックだけを考えれば、これは日本にだけあてはまったロジックではない。北ベトナムでも負ければ知識人はこういっただろう。北朝鮮が金王朝から解放されれば、北朝鮮人皆がこうしたロジックを展開するだろう。米国では、ふだんからある党派が別の党派をこのたぐいのロジックで批難し、ときには死人がでる。したがってこのロジックで過去や今の「日本だけ」を批判しても意味がない。
しかしそんなふうに考えていく能力のない人が、「抜粋」を読めば、ありとあらゆる「日本政府の」説明や行動にいちいち不信感をもち、ちょっとしたことでも糾弾し、だまされまいぞと思う情熱がたぎる。「オリジナル」まで読めば、そこまでは誘導されないだろうに。
では、だれが前後をきりつめて、「抜粋」をつくったのか。その答えを自分は知らないが、おおかた、戦後のいくつかの報道機関、あるいはそれと傾向を同じくする人々であろう。戦争当時は政府の意図に反して国民を戦争へと煽った、あの報道機関である。そこまで考えがすすむと、伊丹が書くように、「いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいない」のではないかと考えてみることは、本当に大事だとおもう。その「うそ」は日本政府ばかりが言うとは限らない。
・・・しかし、私が上に述べたようなことをなにも考えなくても、長く生きて人というものを知ったなら、戦後すぐの共産主義者でもない普通人が、あのようなロジックで人を糾弾したなどということがあるのかどうか疑問におもい、オリジナルを調べてみようとおもわないだろうか?その点は実に不思議だ。
年をとっても賢くならないのであろう。
読み返してみてちょっとわかりにくかったので補足しておきます。
「具体的事情を除いて純粋にこのロジックだけを考えれば」の「このロジック」
というのは、「私はだれかにだまされていた。今後だまされないためには、私は誰かにだまされていたで終わってはならない。だましていた誰かを積極的に糾弾しなければならない(自由映画人連盟の人たちのように)」というロジックですね。
現在は、騙されるというより、体制に加担した労働者団体の実態は、かなり悪質になっている。
連合は、正規と非正規、契約、アルバイトと採用ルートによる差別を是認している、官公労も同じように入社経路によって差別化している、日教組も同じであるが、さらに悪質なのは、教育委員会、教師と結託して、生徒のいじめにまともに取り組まず、いじめ問題がひどくなっている日教組である。ほかの組織も似たり寄ったりであり、管理上層階層より実労働下層階層の差別化意識が強すぎ、日本に階級階層社会を作り出す協力者が同じ労働者である。悲劇であり、喜劇を演出している。リベラルの憲法問題偏重、日常生活問題が軽く見られているのが大きな問題ではないか。
いっしょに、俺たちをだました業界の戦犯を糾弾しようぜ!といってくる相手にたいして、
だました相手を糾弾しようなどという方向ではなく、「真剣な自己反省(伊丹)」の方向で考えなさいよ、
と慎重に、丁寧に、説明している伊丹の真意をよみとれていないコメントばかりでした。
自分が反省しているようでいて、実際は反省を他に求めているのもわかってないんでしょう。