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changeさん のコメント

軍の圧政から、民主化に移行したとたん、同じように圧政に苦しんだアラカン人(上座部仏教徒)とベンガル系イスラム教徒の衝突が再燃した。問題を複雑にしていることは、たくさんあるが、一部を列記すれば

1.1942年ベンガル人によって、2万人以上のアラカン人が殺された。
2.1982年制定国籍法が、バングラディシュからの不法移民とみなし、民族浄化が行われた。
3.バングラディシュ難民の中に、1,000から1,500人のベンガルテロリストが潜伏しているとみなされている。
4.バングラディシュだけでなく、マレーシア、インドネシア、タイなど周辺国は、経済難民であっても、難民扱いをしていない。
5.国連の支援物資が、ベンガルテロリストに流れているという情報もある。

貧民問題の解決は、民主的に解決しようとすればするほど、解決の道が遠ざかるという見本なのでしょう。どうしたら解決できるか、メリットのないことにはどの国も乗り出さず、議論会議の連続がこれからも続くのでしょう。問題は、ベンガル人の上層部は安楽に暮らし、権力闘争の被害者一般住民が困窮を極めるということである。
No.5
81ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 『ロヒンギャ難民キャンプ取材』レジュメ 〜田中龍作 ビルマ国軍の掃討作戦と仏教徒からの迫害により、昨年 8 月下旬からわずか半年足らずで 65 万人のロヒンギャが、ラカイン州からバングラデシュに逃れてきた( 1990 年頃からと合わせると 100 万人超)。   UNHCR のベテラン職員が「こんなに凄い(スピードで増える)難民は見たことがない」と驚く。   ビルマ‐バングラ国境の森を切り拓いて造成された難民キャンプは、地平線の向こうまでテントが続く。往けども往けどもテントだ。ここに 100 万人が暮らす。   昨年 11 月 23 日にネピドーで持たれたビルマ、バングラの両外相会談により、難民のうち 75 万人を 2 ヵ月以内に帰還させるという覚書が交わされた。「( 2018 年) 1 月 23 日送還開始」説はこれに基づく。   バングラ政府側は 1 月 23 日の送還開始が無理なことは分かっていた。だが、ビルマ側は期限内の
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。