• このエントリーをはてなブックマークに追加

フレデイ タンさん のコメント

野中氏は戦後民主主義者の代表的な自民党員と言えよう。その内に秘めたる心情は中國に悪いことをしたという反省だろう。

しかし、戦後一貫して米国の戦争屋は中國攻略を基本に置いている。彼らは野中氏のみならず田中角栄たちも邪魔な存在だった。

我々日本人には忘れてならないことが一つだけある。中国が1840年から今に至るまで主たるプレイヤーが交代したにしても英日米の強欲に痛め付けられて来た現実だ。中國共産党を造り上げた原動力は実は日米英の強欲だと云うこと。その強欲が理性にとって代わられるまで中国共産党のレゾンデートルは毀損しない。

小泉以降の日本の政治には明らかに勝ち目が無いというのが私の診断だ。
No.2
83ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
野中広務氏は 2018 年 1 月 26 日、死去した。。 野中広務氏は小渕内閣の時に、 1998 年 7 月 30 日 - 1999 年 10 月 5 日官房長官をしている。この当時私は外務省で局長をしていたが、当時野中氏の力は絶大で、これに対抗できるものは誰もいないとみられていた。 2000 年に小渕首相が倒れると、森自民党幹事長、青木官房長官、村上参院議員会長、亀井政調会長と協議を行い、森幹事長を小渕の後継自民党総裁にすることとした。この協議は、首相を五人組によって密室で選出させたものとして、野党から厳しく追及され、国民からも大きく批判された。野中は、森の後継として自民党幹事長代理から幹事長へ昇格した( 2000 年 4 月― 2000 年 12 月)。ここでも絶大な力をふるっている。「野中総理」待望論が出ていた時もある。 その野中氏がある時期から一気に勢力をなくしていく。 1997年年 7 月発足の小渕内閣で野中氏は
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。