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p_fさん のコメント

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p_f
> 私には野中氏の議員辞職がどうして起こったかいまだになぜかわからない。

この類の事で孫崎さんが分からないものを、私などの一般人が見当つけようがない。
しかし、とどのつまりは-

> 野中氏は小泉政権から始まる露骨な対米従属路線とは異なっていたという事である。

これに尽きるのでないか。
そして問題は、日本でこの類のことは常に人の憶測に留まることだ。決して真相はオープンにならない。
国民のバックアップ得ようと腹を括る行動には決して至らない。
昨晩、オリバー・ストーンONプーチン前編を見たが、アンナ・ポリトコフスカヤ氏等の件があるにせよ、思い巡らしていたのは日本の政治家のレベルの低さだ。
ストーン「戦時中、国民は残り僅かな所持金さえ自ら国に差出したそうですね?」
プーチン「それは正確ではありません。所持金というより命を捧げました。ロシア人はとても辛抱強く、プライドが高いのです。他の国の支配の下では生きて行けません」
小泉元首相が最近出した独白録で「ブッシュのイラク攻撃を支持したのは今でも正しかったと思う」、「竹中平蔵を使って進めた改革は正しかった」と言っているという。(天木直人氏メルマガ)
故人に失礼ながら、もう野中氏云々の場合ではないと思う。国民を巻き込んで国の自立を模索する政治指導者が不可欠なフェーズでしょう。絶望的ではありますが。
No.5
82ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
野中広務氏は 2018 年 1 月 26 日、死去した。。 野中広務氏は小渕内閣の時に、 1998 年 7 月 30 日 - 1999 年 10 月 5 日官房長官をしている。この当時私は外務省で局長をしていたが、当時野中氏の力は絶大で、これに対抗できるものは誰もいないとみられていた。 2000 年に小渕首相が倒れると、森自民党幹事長、青木官房長官、村上参院議員会長、亀井政調会長と協議を行い、森幹事長を小渕の後継自民党総裁にすることとした。この協議は、首相を五人組によって密室で選出させたものとして、野党から厳しく追及され、国民からも大きく批判された。野中は、森の後継として自民党幹事長代理から幹事長へ昇格した( 2000 年 4 月― 2000 年 12 月)。ここでも絶大な力をふるっている。「野中総理」待望論が出ていた時もある。 その野中氏がある時期から一気に勢力をなくしていく。 1997年年 7 月発足の小渕内閣で野中氏は
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。