フレデイ タンさん のコメント
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野中広務氏は 2018 年 1 月 26 日、死去した。。
野中広務氏は小渕内閣の時に、 1998 年 7 月 30 日 - 1999 年 10 月 5 日官房長官をしている。この当時私は外務省で局長をしていたが、当時野中氏の力は絶大で、これに対抗できるものは誰もいないとみられていた。
2000 年に小渕首相が倒れると、森自民党幹事長、青木官房長官、村上参院議員会長、亀井政調会長と協議を行い、森幹事長を小渕の後継自民党総裁にすることとした。この協議は、首相を五人組によって密室で選出させたものとして、野党から厳しく追及され、国民からも大きく批判された。野中は、森の後継として自民党幹事長代理から幹事長へ昇格した( 2000 年 4 月― 2000 年 12 月)。ここでも絶大な力をふるっている。「野中総理」待望論が出ていた時もある。
その野中氏がある時期から一気に勢力をなくしていく。
1997年年 7 月発足の小渕内閣で野中氏は
家人に頼んでいたプーチンの談話録画が不全で悶々としていたのですが、肝の部分を戴いてありがとうございました。私もプライドが高いので米ネオコン支配の日本はとても不満です。生きては行けますが。余談ですが、私の友人の友人の西部邁氏は、方向は違いますが、米ネオコンには不快を隠していなかったようで、私は彼に或る種のシンパシーを感じております。
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