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フレデイ タンさん のコメント

>>8
おやま!質問に答えられないのですか?では中国論で行きましょう。

中国は日本みたいに米国の100%支配下で暮らすことを拒否した国ですから、貞操保持のための専守防衛に忙しい。その一環としてSNS規制があると私は理解してますよ。コンピューターも米国の情報機関の工作が仕掛けられて来たから中国自家製に代えたと聞いています。米国の侵略心、そしてあこぎな他国主権破壊工作が米国からなされなくなれば、そんな規制と対応は無くなるでしょう。

あなたみたいな自民党系は米国全体を鰯の頭を有難く信奉する落語の主人公みたいに無条件で米国のなすことを全部善として受け入れる傾向がありますね。CIA等々の阿漕な破壊工作をもっと勉強して下さいな。

中国やロシアから見れば日本は米国のきれいなおべべを着た二号さんみたいに見えていますよ。失礼ですが、二号さんという言葉をご存じないでしょうね。換言すれば、お妾さんと言えば分かるかな。旦那が暴力を稼業にしているからタチが本当に悪い。因みに1号さんは私の見立てではイスラエルなんですけど。
No.9
81ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
野中広務氏は 2018 年 1 月 26 日、死去した。。 野中広務氏は小渕内閣の時に、 1998 年 7 月 30 日 - 1999 年 10 月 5 日官房長官をしている。この当時私は外務省で局長をしていたが、当時野中氏の力は絶大で、これに対抗できるものは誰もいないとみられていた。 2000 年に小渕首相が倒れると、森自民党幹事長、青木官房長官、村上参院議員会長、亀井政調会長と協議を行い、森幹事長を小渕の後継自民党総裁にすることとした。この協議は、首相を五人組によって密室で選出させたものとして、野党から厳しく追及され、国民からも大きく批判された。野中は、森の後継として自民党幹事長代理から幹事長へ昇格した( 2000 年 4 月― 2000 年 12 月)。ここでも絶大な力をふるっている。「野中総理」待望論が出ていた時もある。 その野中氏がある時期から一気に勢力をなくしていく。 1997年年 7 月発足の小渕内閣で野中氏は
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。