• このエントリーをはてなブックマークに追加

changeさん のコメント

法治国家における倫理、道徳の位置づけの問題である。

私たちの年代は、人間の行動規範は、倫理、道徳が親だけでなく他の親からも、学校でも教えられてきた。兄弟も多く、兄弟だけでなく仲間とも喧嘩が絶えず、喧嘩しながら、女性を含め人とどのように対処していけばよいか、知らず知らずのうちに、身につけてきた。物もゆたかでなく、「分け合うという、助け合う」という気持ちが常に精神的支柱となっていた。

他とのかかわりでなく、個人の絶対性が重視される絶対教育が、長年にわたって教育界を支配し、他のかかわりでなく、自己が絶対視されれば、他を顧り見ることなく、自我自己主義が台頭する。一番大きく主張されてきたのが女性の権利平等と拡大である。倫理、道徳が、社会の実態とかけ離れたこのいびつな個人主義の拡大は、倫理、道徳が守られなければならない規範としての地位を占めだした。倫理、道徳の生活倫理範疇から逸脱し、処罰規定に置き換えようとしている。

福田前事務次官が、懲戒的内部処分であれば、倫理、道徳問題の範疇であるが、生活のかかった職務をやめても、議員、マスコミ、国民の人民裁判が下されるということであれば、法治国家ではない。法を無視して、人民が官僚を処分するということになってしまう。

今回は、官僚の問題であるが、介護施設、病院などでのパワハラは社会問題になっているが、なくそうとする動きを議員はとらない。何故、マスコミの記者だけがパワハラ問題になり、多くのパワハラを見てみないふりをするのか。女性の権利を自己主張する意思が被害者にも見られないのは、大きな問題であるが、だれも声をあげない。リベラルの悪弊が現れてきている。
No.2
78ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
A 1 : 事実関係1「麻生氏、公文書改ざん「どの組織だってある個人の問題」」(朝日)  麻生太郎財務相は、財務省の福田淳一・前事務次官のセクハラ問題で「セクハラ罪はない」と発言したことについて、8日の記者会見で「事実を申し上げているだけだ」と反論した。森友学園の公文書改ざん問題をめぐっては「個人の問題だ」などと発言。不祥事が相次ぐ財務省のトップとしての見識を問う声が高まりそうだ。  麻生氏は4日の会見で「セクハラ罪っていう罪はない」などと発言し、女性団体などがセクハラを軽視していると抗議していた。これに対し、麻生氏は8日の会見で「セクハラ罪って罪はないと思う」と改めて主張。一方で「罪としてはいわゆる親告罪。まだ訴えられているという話もない」とも述べた。この発言について、自民党の吉田博美・参院幹事長は「説明不足の点があったと思う。もう少し説明責任を果たしたほうがいいのではないか」など
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。