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りゃんさん のコメント

このはなし、自分はどこかで知っていたが、よくそのときの細部を思い出せない。しかしそのときと少し印象が違う気がするなあとおもいながらネットをみてみたら、次のようなサイトがでてきた。
https://books.bunshun.jp/articles/-/1975

このネット記事によると、
1、恋文は愛子の眼に触れることはなかった。
2、春彦は手紙を八つ裂きにして、燃やしてしまった。ここでひとつ問題になるのが、この燃やされた手紙が春彦がおくった手紙なのか(その場合、父親によっておくりかえされたことになる)、父親からの手紙そのものなのか、記載がない。

この二点については、孫崎さん引用(読売新聞の編集手帳のようだが)のなかでは省略されている。

また、changeさんの述べるところによれば(changeさん、情報ありがとうございます)、3、春彦と少女は以前からの知り合いであり、いくら戦前とはいえ、多少は会話をしたことはあったはずであり、孫崎さん引用のなかの「金田一さんが少女と初めて言葉を交わしたのは、それから30年余り後のことである」というのは、ちょっと大げさである。

また、少女に声をかけた動機も、孫崎さん引用の記事ではひとめぼれからの情熱を示唆する書き方だが、changeさんの情報によれば4、「高校入寮の夜1級上の春日由三「諸君は恋を得よ」という演説に感動し」、つまり男の先輩からの煽りあるいは焚き付けにも一端はあるのであり(これは現代でもふつうにみられる)、そうであれば少しロマンチックの度合いは下がるであろう。

別になにかを批判しようとして書いているのではなく、春彦氏のなかでももしかしたら少しずつ記憶がかわっているのかもしれず、さらに引用をされ、夾雑物が落ちてすっきりと、まるで万葉集のうたのようなおもむきさえ感じられるものがたりになっている。そのことに味わい深さを感じた。
No.4
77ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
 国語学者の金田一春彦さんに初恋の回想がある。 旧制浦和高校に入ってまもない初夏のこと。 学生寮から東京に帰省したとき、 近所の道で可憐(かれん)な少女ににっこり挨拶(あいさつ)された。 〈魂が宙に飛ぶというのはこういうときだろうか〉(東京書籍『ケヤキ横丁(よこちょう)の住人』)。 恋文をしたため、 少女宅の郵便箱に託した。 やがて返信が届いた。 〈私の娘は、  まだ女学校の一年生である。  貴下の手紙にお返事を書くようなものではない。  貴下は立派な学校に入学された前途ある方である。  どうか他のことはしばらく忘れて学業にいそしまれよ。  少年老い易(やす)く…〉 何年かして応召するとき、 見送りの人垣のなかに少女の顔を見つけた。 金田一さんが少女と初めて言葉を交わしたのは、 それから30年余り後のことである。
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。