フレデイ タンさん のコメント
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地球面の人類、その数億のみならず、山海天然の境界に隔てられて、各処に群を成し各処に相分るるは止むを得ずといえども、各処におのおの衣食の富源あれば、これによりて生活を遂ぐべし。
また或は各地の固有に有余不足あらんには互にこれを交易するも可かなり。
すなわち天与の恩恵にして、耕やして食い、製造して用い、交易して便利を達す。人生の所望この外にあるべからず。
なんぞ必ずしも区々たる人為の国を分ちて 人為の境界を定むることをもちいんや。
いわんや その国を分ちて隣国と境界を争うにおいてをや。
いわんや 隣の不幸を顧りみずして自ずから利せんとするにおいてをや。
いわんや その国に一個の首領を立て、これを君として仰ぎこれを主としてつかえ、その君主のために衆人の生命財産を空しうするがごときにおいてをや。
いわんや 一国中になお幾多の小区域を分ち、毎区の人民おのおの一個の長者を戴きてこれに服従するのみか、つ
当時の列強で最強はイギリス、フランス、米国だが、生憎、フランスでは何と早々プロレタリア革命が起こる騒ぎが起き、その植民地主義は勢いを失くしていた。幕府の有力な支援国フランスがこの体たらくだったから、幕府にとっては痛手。加えて、米国では南北戦争が勃発し、極東への進出は失速していた。元気だったのはイギリスだけ。イギリスは中国の経営に本格的に乗り出したばかり。その為にシンガポールに次ぐ最大規模のロジステイックの基地建設が求められ、日本が選択されたのだ。当然、日本を保護国にし使いこなすにはまず討幕が必要なことはイギリスにとってはイロハだった。忠君愛国はイギリスのアイデイアでもあったのだ。アーネスト・サトーの日記にもそれらしきものが見える。
近代日本で最初のアメリカン・スクール出身の福沢諭吉にとっては忠君愛国は元々反米テロの臭いで一杯の尊王攘夷に連結するものであり、その後、イギリスの工作の結果、出て来る「忠君愛国」だから、福沢諭吉は真底好きにはなれなかったのではなかろうか。
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