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りゃんさん のコメント

具体的な話は今回はじめて知りましたが、伊藤がなんかの暗殺にからんでいたのは知っていたし、もともと松下村塾出身で過激な活動をしていたのだから、特に驚きはありません。しかし、孫崎さんはこの話で何を言いたいのでしょう。

『アーネスト・サトウと倒幕の時代』の出版予定があるそうですが、孫崎さんはその著書で、この件から幕末日本への外国の介入へと話を広げたいのでしょうか。

もしそうなら、今までも聞いたようなありふれた話ではなく、伊藤の若いころに浴びた松蔭の思想や、攘夷思想と、後年の実践家伊藤博文との関係。もっと抽象的にいえば、イデオロギーと人間の実際につくる世界との関係について、孫崎さん自身の議論を聞きたいものです。

イデオロギーを貫くことも解毒することもできないで一生を終えるヒトビトのなにかの参考になるでしょう。
No.4
76ヶ月前
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「坂下門外の変」⑤ 東京都千代田区三番町に「この地にて、伊藤博文(明治政府初代首相)が塙次郎を斬殺」という記念碑があったらどうでしょうか   江戸時代「番町で目明き盲に道を聞き」とい川柳がありました。ここで「盲」と言われたのは塙保己一です。この塙保己一は『群書類従』刊行を行う大事業を成し遂げています。「道を聞き」は道路案内だけでなく、学問の道をも意味しています。 かつて「千代田区三番町 24 には、「塙保己一和学講談所跡」の標識がありました。 しかし、もし、この標識が「 この地にて、明治初代首相伊藤博文が幕末、塙保己一の息子 塙忠宝を暗殺 」となると、訪れる人もあるのでないでしょうか。 「坂下門外の変」に関連して、伊藤博文は一段と過激な行動をとりました。 すでに「坂下門外の変」に関与した人々が、「斬奸趣意書」を書いたことを死崩壊しました。この中に、「 天子之御讓位を奉釀候心
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。