「坂下門外の変」⑤ 東京都千代田区三番町に「この地にて、伊藤博文(明治政府初代首相)が塙次郎を斬殺」という記念碑があったらどうでしょうか 

江戸時代「番町で目明き盲に道を聞き」とい川柳がありました。ここで「盲」と言われたのは塙保己一です。この塙保己一は『群書類従』刊行を行う大事業を成し遂げています。「道を聞き」は道路案内だけでなく、学問の道をも意味しています。

かつて「千代田区三番町24には、「塙保己一和学講談所跡」の標識がありました。

しかし、もし、この標識が「この地にて、明治初代首相伊藤博文が幕末、塙保己一の息子

塙忠宝を暗殺」となると、訪れる人もあるのでないでしょうか。

「坂下門外の変」に関連して、伊藤博文は一段と過激な行動をとりました。

すでに「坂下門外の変」に関与した人々が、「斬奸趣意書」を書いたことを死崩壊しました。この中に、「天子之御讓位を奉釀候心