changeさん のコメント
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明治期に来日した米国の動物学者、エドワード・モースに、日本人の少女ふたりを連れて東京の夜店を散策したときの回想がある。
少女は日本で雇い入れた料理人の子供とその友だちで、 10 歳くらいである。十銭ずつ小遣いを与え、何に使うのだろうと興味をもって眺めていた。
ふたりは、道端に座って三味線を弾いている物乞いの女に歩み寄ると、地べたのザルにおのおの一銭を置いた。みずからも貧しい身なりをした少女たちの振る舞いを、モースは「日本その日その日」(東洋文庫)に書き留めている。(中略)
江戸の風儀を残す明治の初め、少女たちが施した一銭にも、不運にして日の当たらぬ者に寄せた慈しみのまなざしが感じられる。勝敗は運ではない、個人の才能よ--と驕れる当節の自称「勝ち組」には、無縁のまなざしであろう。
金力の信奉者であることを隠さず、人生「勝ち組」を自任してきた若手企業家が、汚い金稼ぎを指揮し
大雨被害に対して、「知ってすり寄る人」と、「ただ被災者にすり寄っている人」。皆さまざまである。でもこの暑さ、体には気を付けてほしいものです。
過日のご投稿です、福沢諭吉が、勝海舟の行動に対して、「無功徳」性が徹底していないといっていた。言葉を変えていえば、「ただなる行動」であっても、「無功徳」の「功徳」が脚光を浴びすぎている点すなわち時流に流される点を指摘していたことを思い出す。
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