明治期に来日した米国の動物学者、エドワード・モースに、日本人の少女ふたりを連れて東京の夜店を散策したときの回想がある。
少女は日本で雇い入れた料理人の子供とその友だちで、10歳くらいである。十銭ずつ小遣いを与え、何に使うのだろうと興味をもって眺めていた。
ふたりは、道端に座って三味線を弾いている物乞いの女に歩み寄ると、地べたのザルにおのおの一銭を置いた。みずからも貧しい身なりをした少女たちの振る舞いを、モースは「日本その日その日」(東洋文庫)に書き留めている。(中略)
江戸の風儀を残す明治の初め、少女たちが施した一銭にも、不運にして日の当たらぬ者に寄せた慈しみのまなざしが感じられる。勝敗は運ではない、個人の才能よ--と驕れる当節の自称「勝ち組」には、無縁のまなざしであろう。
金力の信奉者であることを隠さず、人生「勝ち組」を自任してきた若手企業家が、汚い金稼ぎを指揮し
コメント
コメントを書く自分よりみじめな境遇にある人に、「知ってすり寄る」と、「ただ吸い込まれるようにすり寄る」との違いであるが、全く異なった慈愛である。
大雨被害に対して、「知ってすり寄る人」と、「ただ被災者にすり寄っている人」。皆さまざまである。でもこの暑さ、体には気を付けてほしいものです。
過日のご投稿です、福沢諭吉が、勝海舟の行動に対して、「無功徳」性が徹底していないといっていた。言葉を変えていえば、「ただなる行動」であっても、「無功徳」の「功徳」が脚光を浴びすぎている点すなわち時流に流される点を指摘していたことを思い出す。
時が経ち、日本は生活保護受給者に敵意をむき出しにする
人が大手を振るようになり、どんどん受給額を下げる
政権が選挙で大勝するようになりました、とさ。
諸行無常。
2006年1月24日孫崎さんの日記なのでしょう。
1月23日に東京地検特捜部は,証券取引法(風説の流布、偽計取引)違反容疑で、当時ホリエモンが逮捕された。
当時の感想としては、陰湿な老人が支配する不明朗な経済界に、若さをバネにした挑戦を続けたホリエモンの姿が、瞼に浮かび上がってくる。善悪を別にして、当時ホリエモンが選挙で亀井氏に勝利したならば、違った展開が開けていたかもしれない。
米国の支配層は福祉を極端に嫌う。自民党と自民党系もそういう奴が結構多い。私的資本利益の極大化に反する概念だからだ。
彼らには食えなくなった人間は自業自得で自己責任だとうそぶく。どうにもならん場合は「金持ちの慈悲にすがれ」というのだ。これは正しくない。健康で文化的な生活は何人にも与えられた権利なんです。
ただ、この話の明治時代は政府は無能で政治家は私腹肥やすのに忙しく多くの庶民は極貧だった。その極貧の中で自然発生する慈悲は極貧共同体の横糸になる「お互い様」という理念によって支えられていた。弱いもの同士が助け合って言わば原始共産社会を構成していたのだ。10歳の少女はそういう社会で育っていたから、自然に托鉢に応じたと私は解釈している。
堀江の本を読むなんて、なんて暇な人が
この世にはいることだろう。