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フレデイ タンさん のコメント

米国の支配層は福祉を極端に嫌う。自民党と自民党系もそういう奴が結構多い。私的資本利益の極大化に反する概念だからだ。

彼らには食えなくなった人間は自業自得で自己責任だとうそぶく。どうにもならん場合は「金持ちの慈悲にすがれ」というのだ。これは正しくない。健康で文化的な生活は何人にも与えられた権利なんです。

ただ、この話の明治時代は政府は無能で政治家は私腹肥やすのに忙しく多くの庶民は極貧だった。その極貧の中で自然発生する慈悲は極貧共同体の横糸になる「お互い様」という理念によって支えられていた。弱いもの同士が助け合って言わば原始共産社会を構成していたのだ。10歳の少女はそういう社会で育っていたから、自然に托鉢に応じたと私は解釈している。

No.4
77ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
明治期に来日した米国の動物学者、エドワード・モースに、日本人の少女ふたりを連れて東京の夜店を散策したときの回想がある。   少女は日本で雇い入れた料理人の子供とその友だちで、 10 歳くらいである。十銭ずつ小遣いを与え、何に使うのだろうと興味をもって眺めていた。 ふたりは、道端に座って三味線を弾いている物乞いの女に歩み寄ると、地べたのザルにおのおの一銭を置いた。みずからも貧しい身なりをした少女たちの振る舞いを、モースは「日本その日その日」(東洋文庫)に書き留めている。(中略)   江戸の風儀を残す明治の初め、少女たちが施した一銭にも、不運にして日の当たらぬ者に寄せた慈しみのまなざしが感じられる。勝敗は運ではない、個人の才能よ--と驕れる当節の自称「勝ち組」には、無縁のまなざしであろう。 金力の信奉者であることを隠さず、人生「勝ち組」を自任してきた若手企業家が、汚い金稼ぎを指揮し
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。