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oldjapさん のコメント

終戦直後、サンフランシスコ平和条約、すなわち、戦勝国に対して、日本を再度独立国として認めてもらうために、吉田首相以下、外務省の幹部がご苦労されたことは、理解しますし、ベストの解をえるために、妥協をしただろうと、理解します。そんないきさつを70年たった今、振り返って批判することは、良くない。それよりも、外交官諸氏には知恵を絞り、今の時点でのベストの解決を図ってほしい。過去の誰がバカだったとか、今のだれがバカだとかいう議論には興味ない。
No.3
70ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
今、日本政府は、国後・択捉は千島に入らないというとんでもない見解を有している。何時の時代からこんな馬鹿げた詭弁を使い様になったのか。 極めて重要な問題なので、敬意を経緯を紹介する(出典『日本の国境問題』 1:サンフランシスコ講和条約での千島の扱い扱い ―吉田首相、千島放棄に合意。千島に択捉、国後が入っていることを明言― サンフランシスコ講和条約(一九五一年九月八日署名)において、第二章(c)は「日本国は千島列島に対するすべての権利、請求権を放棄する」とした。 その直前九月七日吉田首相は「千島南部の択捉、国後両島が日本領であることについては帝政ロシアも何らの異議を挟まなかったのであります」と述べている。  この吉田首相の演説は二つの意味で重要である。 一つは「「千島南部の択捉、国後両島が日本領である」という「択捉、国後固有の領土論」は国際的支持を得られず、日本
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。