• このエントリーをはてなブックマークに追加

p_fさん のコメント

userPhoto
p_f
「東京新聞の社説貼り付けただけ!仮にも有料のブログ記事でそんなのアリですか、孫崎さん?!」-などと聞こえてきそうですが。私自身は全然構いません;)
百年も前となれば4世代くらい入れ替わり、そうなると人間の気質傾向は斯くも変わってしまうのか。
「現内閣の如き無知無能、かつ嘘と詭弁の不誠実極まりないなる内閣はなかった。彼らは政治の私物化が如何に国民生活を脅かしつつあるかを知らず、これに対して根本的に猛省し改める策を講ぜず」「政権に批判的な新聞を徹底的に敵視し」「今や私どもは現内閣を仆(たお)さずんば、私ども自身がまず仆れねばならぬ」-仮に今そう公言して先頭に立つ有力者が現れれば、アベは退陣するのか。
結局「権力におもねることなく、国民の声を伝え続けなければなりません。その覚悟も問われる米騒動百年です」止まりで、「我々東京新聞がアベ政治打倒の先頭に立ちます」とは やはり言えないのだろう。何処も皆そうだ。
十数年前に書かれた「ご臨終メディア━質問しないマスコミと一人で考えない日本人」(森達也、森巣博著)の付記より-
「...衆院選の結果が出た。自民党圧勝。今日の世論調査では、『これほどに自民が勝って不安だ』との声が六八%。今さら何言ってやがる。投票したのは誰だよ。人はこうして焼け野原で、呆然と空を見上げる。郵政民営化という見せかけの焦点と、刺客やマドンナなどの刺激性にメディアが酔い、大衆は見事に踊った。『やっぱり文字どおりの“ご臨終”じゃないか』。そうつぶやきながら、頭を抱える森巣さんの姿が脳裏に浮かぶ...」
No.2
76ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
東京新聞社説:「米騒動と新聞の役割」、 2018 年 8 月 12 日 明治百五十年の今年は「米騒動」から百年の節目でもあります。富山県で始まり、内閣を退陣に追い込んだ大衆運動に、新聞が果たした役割を考えます。  一九一八(大正七)年七月のことでした。富山県の魚津や滑川など日本海沿岸の漁村に住む女性たちが、米穀商などに押しかけ、コメの船積みをやめ、安く売るよう求めて、声を上げました。  米価は、日本軍のシベリア出兵を見越した米穀商の投機的買い占めや売り惜しみで急騰、男性たちが出稼ぎで向かった北洋は不漁で残された女性たちは生活難に陥っていました。「女一揆」と呼ばれた米騒動の始まりです。 ◆地元紙の記事を機に  この動きをまず報じたのは地元紙の「高岡新報」でした。続いて大阪朝日、大阪毎日両新聞が伝えて、全国に発信されたのです。  新聞報道とともに騒ぎは西日本中心に全国三百六十八
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。