東京新聞社説:「米騒動と新聞の役割」、2018年8月12日
明治百五十年の今年は「米騒動」から百年の節目でもあります。富山県で始まり、内閣を退陣に追い込んだ大衆運動に、新聞が果たした役割を考えます。
一九一八(大正七)年七月のことでした。富山県の魚津や滑川など日本海沿岸の漁村に住む女性たちが、米穀商などに押しかけ、コメの船積みをやめ、安く売るよう求めて、声を上げました。
米価は、日本軍のシベリア出兵を見越した米穀商の投機的買い占めや売り惜しみで急騰、男性たちが出稼ぎで向かった北洋は不漁で残された女性たちは生活難に陥っていました。「女一揆」と呼ばれた米騒動の始まりです。
◆地元紙の記事を機に
この動きをまず報じたのは地元紙の「高岡新報」でした。続いて大阪朝日、大阪毎日両新聞が伝えて、全国に発信されたのです。
新聞報道とともに騒ぎは西日本中心に全国三百六十八
コメント
コメントを書く「日本軍のシベリア出兵を見越した米穀商の投機的買占め、、」がポイントだと私は考えます。
米国が管理する自由世界には何も新しい概念は無い。そこに在るのは投機です。大航海時代から延々と続く強欲主導の投機が主役の世界を管理するのが米国なんだけど、うまくしたもので、言葉を巧みに使い、強欲という卑しさを隠して久しい。
この米騒動から、
戦争は財閥の利益の為にコミットされその結果大衆の貧困が必ずやってくる。貧困の大衆は騒動を起こします。当然の権利ですから。ところが、今も尚、自民党シンパはこのような大衆のレジスタンスに同情する人間に「教条主義」というレッテルを貼る。誰が「言え」と教示するのか知らないが、そういえば義務が果たされるのか、バカ丸出しを恥じまい。
戦争を進めることが出来る財閥は今や米国にしかいない。以前には日本やイギリスやフランスやドイツに財閥が存在したがもはやいない。現在の戦争は在米の財閥が起こすものなんだけど、ロシアや中国や北朝鮮やイランやトルコが起こすものだと主張する馬鹿者がまだ日本にも世界にも多くいる。
上記のことは中学生でも真面目に勉強すれば分かることなんだが、分かろうとしない。日本のジャーナリズムはそのことを書く必要がある。しかし、朝日もその他リベラルと呼ばれる新聞はそのメカニズムに観ても見ぬ振りをしているのが歯がゆい。
「東京新聞の社説貼り付けただけ!仮にも有料のブログ記事でそんなのアリですか、孫崎さん?!」-などと聞こえてきそうですが。私自身は全然構いません;)
百年も前となれば4世代くらい入れ替わり、そうなると人間の気質傾向は斯くも変わってしまうのか。
「現内閣の如き無知無能、かつ嘘と詭弁の不誠実極まりないなる内閣はなかった。彼らは政治の私物化が如何に国民生活を脅かしつつあるかを知らず、これに対して根本的に猛省し改める策を講ぜず」「政権に批判的な新聞を徹底的に敵視し」「今や私どもは現内閣を仆(たお)さずんば、私ども自身がまず仆れねばならぬ」-仮に今そう公言して先頭に立つ有力者が現れれば、アベは退陣するのか。
結局「権力におもねることなく、国民の声を伝え続けなければなりません。その覚悟も問われる米騒動百年です」止まりで、「我々東京新聞がアベ政治打倒の先頭に立ちます」とは やはり言えないのだろう。何処も皆そうだ。
十数年前に書かれた「ご臨終メディア━質問しないマスコミと一人で考えない日本人」(森達也、森巣博著)の付記より-
「...衆院選の結果が出た。自民党圧勝。今日の世論調査では、『これほどに自民が勝って不安だ』との声が六八%。今さら何言ってやがる。投票したのは誰だよ。人はこうして焼け野原で、呆然と空を見上げる。郵政民営化という見せかけの焦点と、刺客やマドンナなどの刺激性にメディアが酔い、大衆は見事に踊った。『やっぱり文字どおりの“ご臨終”じゃないか』。そうつぶやきながら、頭を抱える森巣さんの姿が脳裏に浮かぶ...」
経済的貧困、格差拡大化の中で、主要食料品米価高騰が買占め、売り惜しみによって庶民の怒りが高まる中で、報道機関の報道が相互作用を深めることによって、社会的「米騒動」につながっていった。歴史的事実であり、受け入れていくべきものでしょう。
問題は、同じような環境に置かれているかの認識ではないか。確かに格差問題は、現実的問題でもあるが、貧困格差に置かれている人たちの、時代的相違である。「米騒動」の時、貧困といわれた層の割合と、現代的貧困といわれる層の割合は重要な視点となりえる。現在の労働者は、我々高齢者が過ごした時代の労働者と異なり、正規非正規に大別され、ロボットが労働者として活躍する時代では、純粋に労働者といわれる人は少なくなっているのでしょう。
政府は「働き方改革」などといっているが、野党などは,何故、企業に責任を持たせる「働かせ方改革」で対峙しないのか。企業管理者の視点で、隷属的労働者を見ているのではないかと錯覚してしまう。本当に労働者の立場に立っているのかと、疑問に感じることが多すぎる。
>>1
フレディさんも孫崎さんも「日本軍のシベリア出兵」と言う
言葉を使ってらっしゃいますね。
わたしはこれをシベリア干渉と記憶していたので、年代の
違いか、と思いました。
ところが、ウィキペディアで検索してみるとやはり「シベリア出兵」
なのですね。
果たして自分は学校でなんと習ったのかと混乱してきました。
わたしが必ずしも間違っていないことは英語ではSiberian Intervention
となっています。
まさしくシベリア干渉です。
日教組の栄枯盛衰と関係があるのでしょうかね。
米国はしょっちゅう外国に対して軍事力でinterveneするのですが、
日本のマスコミは干渉と言う言葉を避けて介入と表現します。
軍事干渉と呼ぶべきを軍事介入とトーンを下げて表現する。
米軍、パナマに軍事介入、みたいにね。
なんででしょうかね。
中日新聞に聞いてみたい気がする。
>>6
うーん、中部日本新聞の創刊は戦時中だからなあ。
ふたつの前身紙はもっと古いけど。
その問題については、三大紙をとがめた方がいい気がする。
読売なんかどうかな。
ところで、Siberian Interventionのことはなんと習った?
出兵?干渉?。
そうかそうか、まだ習ってないか。
>>9
わたしの「本家」はわたし自身であってべつに
「ソ連」じゃないんだけどね。
まあ、米国を本家とするひとには無理からぬ
発想だろうから、とがめる気もそんなにはないけど。