• このエントリーをはてなブックマークに追加

changeさん のコメント

経済的貧困、格差拡大化の中で、主要食料品米価高騰が買占め、売り惜しみによって庶民の怒りが高まる中で、報道機関の報道が相互作用を深めることによって、社会的「米騒動」につながっていった。歴史的事実であり、受け入れていくべきものでしょう。

問題は、同じような環境に置かれているかの認識ではないか。確かに格差問題は、現実的問題でもあるが、貧困格差に置かれている人たちの、時代的相違である。「米騒動」の時、貧困といわれた層の割合と、現代的貧困といわれる層の割合は重要な視点となりえる。現在の労働者は、我々高齢者が過ごした時代の労働者と異なり、正規非正規に大別され、ロボットが労働者として活躍する時代では、純粋に労働者といわれる人は少なくなっているのでしょう。

政府は「働き方改革」などといっているが、野党などは,何故、企業に責任を持たせる「働かせ方改革」で対峙しないのか。企業管理者の視点で、隷属的労働者を見ているのではないかと錯覚してしまう。本当に労働者の立場に立っているのかと、疑問に感じることが多すぎる。
No.3
76ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
東京新聞社説:「米騒動と新聞の役割」、 2018 年 8 月 12 日 明治百五十年の今年は「米騒動」から百年の節目でもあります。富山県で始まり、内閣を退陣に追い込んだ大衆運動に、新聞が果たした役割を考えます。  一九一八(大正七)年七月のことでした。富山県の魚津や滑川など日本海沿岸の漁村に住む女性たちが、米穀商などに押しかけ、コメの船積みをやめ、安く売るよう求めて、声を上げました。  米価は、日本軍のシベリア出兵を見越した米穀商の投機的買い占めや売り惜しみで急騰、男性たちが出稼ぎで向かった北洋は不漁で残された女性たちは生活難に陥っていました。「女一揆」と呼ばれた米騒動の始まりです。 ◆地元紙の記事を機に  この動きをまず報じたのは地元紙の「高岡新報」でした。続いて大阪朝日、大阪毎日両新聞が伝えて、全国に発信されたのです。  新聞報道とともに騒ぎは西日本中心に全国三百六十八
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。