りゃんさん のコメント
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沖縄知事選が進行中です。
この中、「本州」は沖縄にどの様に対峙してきたでしょうか。
私の『戦後史の正体』から沖縄と昭和天皇を引用します。
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終戦後、寺崎英成は一九四七年二月に宮内省御用掛(通訳)に任命され、昭和天皇とマッカーサー元帥との会見の通訳も数回つとめます。
しかし寺崎英成はたんなる通訳ではありませんでした。彼は妻グエンがGHQのフェラーズ准将の遠縁であったこともあって、GHQと太いパイプをもつようになりました。そして昭和天皇と米軍のあいだで、意思疎通をはかる役目もまかされることになったのです。『昭和天皇独白録』のなかで入江侍従長は寺崎英成のことを「〔現在〕日本で一番重要な仕事をしている」とまでいっています。
彼は占領軍のなかでマッカーサーの「軍事秘書」の職にあったフェラーズや、外交
まず、孫崎さんが北方領土でくりかえし強調しているヤルタ=ポツダム体制があった。ここでは、孫崎さんが言うように、日本の領土は「本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする」とされ、日本はこれを受諾したのであり、沖縄は当然ながら、この中に入ってない。
次に、占領体制の少なくとも初期には、米国は琉球人を日本人とは異なる民族とみなしており、また、沖縄の地政学的重要性は当時すでに明らかであったので、沖縄を日本に返還する気はなかったといわれている。
最後にサンフランシスコ講和条約(署名1951年)の第3条では、沖縄を含む多くの島々が、「米国から国連への提案があった場合、米国の信託統治下に置くことに日本が同意すること」が規定されている。ここで、この規定は、1947年の天皇提案、すなわち「日本に主権(=領土権)を残したままでの長期租借というかたちでの、米国による期限を区切った軍事占領」よりも、明らかに日本にとって不利であることに注目すべきであろう。
これらの状況証拠からわたしが想像するのは、もともと米国は沖縄を奪うつもりだったが、日本側の巻き返しがあった。天皇提案は、その巻き返し案(のひとつ?)であったが、米国はそれには同意せず、最終的にサンフランシスコ講和条約第3条という結果になったということである。
もちろん、わたしがあげた根拠をもとに別のストーリーを考えることも可能であるし、説得的な証拠があれば、いつでも自説を改めるつもりである。
ところで、もしも米国がサンフランシスコ講和条約第3条を行使したら、いまごろ沖縄は米国の信託統治領だったはずだ。それは大いにあり得た現在なのである。そしてその場合、今現在、沖縄に日本への復帰運動がおきていた可能性もある。
しかし、孫崎さんの北方領土への態度をみていると、孫崎さんはその復帰運動に対してこう言いそうである。
「ヤルタ会談、ポツダム宣言を見よ。サンフランシスコ講和条約第3条を見よ。日本は沖縄に対してなんの権利もないのだ」。この言動がひどい対米従属であることは、いうまでもない。
そしてわたしは、上の仮定の下で、もしこんなことを本当に言う人がいたらその人を日本の外交官として認めるつもりはないのだが、孫崎さんはどう考えるだろうか。
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