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m.m.さん のコメント

「択捉と国後が日本領で会ったことは帝政ロシアも認めていた」のは事実だ。
それをソ連領に変更したのがヤルタ会談であり、ソ連が対日戦争に参加した理由だ。
吉田首相にしても、択捉・国後を「千島列島には含まれない」とは言っていないはずだ。
仮に、強引に千島列島を南北に分けるとしても、千島の地図を見れば、択捉島とウルップ島の間で分割するのは疑問を感じる。ウルップ島までを「南」に含めた方が合理的だ。
以前、日本人が住んでいたか否かで、南北に分けようとする日本政府の言い分は、どこの国をも説得できないだろう。
日本政府の言い分は、ソ連(ロシア)と仲良くさせないためのアメリカの戦術に騙されているだけだ。
No.4
75ヶ月前
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6日アベマ TV 「みのもんたのよるバズ!」【安倍外交正念場!プーチン大統領の「卓袱台返し」】の番組に参加。ここでの議論を通じ、思ったのは、日本国民はあまりに戦後の事実関係を知らず、北方領土を日本固有の領土として主張することが正しいと思っている事。しかし日本はサンフランシスコ講和条約で千島を放棄した、そして全権代表である吉田首相は国後択捉は南千島と説明している、ここから日本が国後・択捉を日本領と主張する国際法上の根拠はないことを知るべきです。 下記は私の『日本の国境問題』からの引用。   サンフランシスコ講和条約での扱い ―吉田首相、千島放棄に合意。千島に択捉、国後が入っていることを明言― サンフランシスコ講和条約(一九五一年九月八日署名)において、第二章(c)は「日本国は千島列島に対するすべての権利、請求権を放棄する」とした。 その直前九月七日吉田首相は「千島南部
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。