フレデイ タンさん のコメント
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明治時代は明治時代だけに意義があるのではない。
明治の在り様は、その後の時代にも影響を与えていく。その視点を示しているのが夏目漱石だ。
著書『三四郎』( 1908 年作)
主人公、小川三四郎が熊本の高等学校(第五高等学校)を卒業し、大学(東京帝国大学)に入学するために上京する時、車中での出来事を書いています。
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「髭の男は「いくら日露戦争に勝って、一等国になっでも駄目ですね。・・・・・」
(三四郎は)「しかしこれからは日本も段々と発展するでしょう」と弁解した。するとかの男はすましたもので、「亡びるね」といった。。。
熊本でこんなことを口に出せばすぐ擲ぐられる。わるくすると国賊扱いにされる」
夏目漱石は『それから』(1909年著)で、日露戦争後の日本を実に見事に描写しています。
大仏次郎の「天皇の世紀」はもっと遡って、幕末の右翼の国粋主義に真珠湾攻撃から大敗北に至る戦争の因を求めて居ます。確かにそういう面が明治維新に臭いますね。
そういう歴史ですから、明治維新150年を無条件で祝うのはアナクロニズムそのもので滑稽至極。更に言わせてもらえれば、式典参加者全員に「周辺諸国の眼差し」がどうあるのか分からない幼児性を感じるのは私だけでしょうか。
安倍氏は天皇陛下に招待状を出せなかった。彼の精神に星条旗ファシズムがしっかり約80年前にあるからだと私は考えて居ます。菊より星条旗、倒錯しています。安倍氏の天皇陛下をネグレクトする姿は約80年前に乱暴な軍部を代表した東条英機の姿と寸分とも違わない。
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