りゃんさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
明治時代は明治時代だけに意義があるのではない。
明治の在り様は、その後の時代にも影響を与えていく。その視点を示しているのが夏目漱石だ。
著書『三四郎』( 1908 年作)
主人公、小川三四郎が熊本の高等学校(第五高等学校)を卒業し、大学(東京帝国大学)に入学するために上京する時、車中での出来事を書いています。
*********************************
「髭の男は「いくら日露戦争に勝って、一等国になっでも駄目ですね。・・・・・」
(三四郎は)「しかしこれからは日本も段々と発展するでしょう」と弁解した。するとかの男はすましたもので、「亡びるね」といった。。。
熊本でこんなことを口に出せばすぐ擲ぐられる。わるくすると国賊扱いにされる」
夏目漱石は『それから』(1909年著)で、日露戦争後の日本を実に見事に描写しています。
あまり知られていませんが、夏目漱石(1867年-1916年)は1909年に、満州・朝鮮各地を旅行しており、そのさいの印象を
「韓満所感」として随筆にまとめ、1909年に「満洲日日新聞」に発表しています。
このなかで漱石は、「余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた」と書いています。
https://www.sankei.com/life/news/130107/lif1301070012-n1.html
なお、「満韓ところどころ」も、ゆっくり読むとなかなかおもしろい。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/781_14965.html
孫崎さんの引いているのは小説ですが、これらには、小説ではないナマの漱石の心情が書かれているのではないでしょうか。
漱石の口を借りるまでもなく、近代化に遅れた地域は当時悲惨を極めた。明治維新は、日本が植民地化を免れ、
近代化に成功する契機としての意義があり、日本人ならだれでもそれを知り、さらに学びたいとおもっているので、
何度も何度もドラマになったり小説になったりするのですね。
ところで明治維新のそのとき、日本の革命家たちは、思想的におおむね帝国主義者でもありました。つまり、日本を侵略しに来た連中を学んだわけですね。
これは、当時日本が置かれた状況をおもえば、批判できるようなことではないとわたしはおもいます。
しかし、帝国主義を大きく実践に移した、それはおおむね日露戦争の勝利のころにはじまるのですが、これがつまずきの石でした。
帝国主義思想を克服するなおいっそうの思想の深まりが日本の大勢をしめることができなかった。これが当時の日本の限界であったのでしょう。
具体的には朝鮮問題の処理と日韓併合ですね、なぜか孫崎さんは日露戦争の原因である朝鮮問題のことを書いていないのですけれど。
Post