changeさん のコメント
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『アーネスト・サトウと倒幕の時代』内容紹介
孝明天皇崩御、アーネスト・サトウは『一外交官の見た明治維新』で「一日本人が私 (アーネスト・サトウ)に確言したところによると、(孝明天皇は)毒殺されたのだという」と記述。
孝明天皇が崩御したのが慶応二年一二月二五日(一八六七年一月三十日)。満満三五歳。
幕末史の中では極めて重要な時期に亡くなっています。
慶応二年一月には、坂本龍馬の斡旋で薩長連合の基礎が出来ました。慶応三年十月十四日には将軍慶喜が大政奉還をして、十二月九日には天皇が王政復古を宣し、本来なら孝明天皇の時代が始まるのです。
アーネスト・サトウは 『『一外交官の見た明治維新』の中で疑問を提示しています。
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「・私は、プリンセス・ロイヤル号の甲板で日本の貿易商数名に会った。
・彼等は、
主治医伊良子光順医師の日記により、毒殺説が出ている。考明天皇は西洋医学を極度に嫌っていた中で、風邪をこじらせ、発熱し回復しないため、15名の医師が24H体制で治療にあたり回復の兆しがある中で、急変し崩御された。毒殺は有力な説であろうが、主治医として15名の医師団で治療に当たって治療できなかったことをすり替えしたのではないかという疑念も否定できない。ただ、その後のことを考えると、毒殺説は陰謀渦巻歴史が面白くなることは事実だ。
孫崎さんの歴史的追及が、独自の見解で展開されているのか、他者の見解を参考にしているのかわからないが、「あれれ」という言葉は何を意味するのであろうか。図書館で読めるようになれば読んでみたい。
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