changeさん のコメント
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岸は一九四五年九月十一日、A級戦犯容疑で逮捕され、巣鴨拘置所に入ります。その拘置所のなかでの気持ちをこう書いているのです。
「冷戦の推移はわれわれの唯一の頼みだった。これが悪くなってくれば、首を絞められずにすむだろうと思った」(『岸信介証言録』)
つまり、冷戦になれば米国は自分を使おうとする、だから自分の命が救われると言っています。
岸信介は、みなさんもおそらくご存じのとおり、一九六〇年に新安保条約の締結を強行した人物です。CIAから多額の資金援助をうけていたこともわかっています。したがって米国追随一辺倒の政治家というイメージがあります。でも調べていくと、驚くことに岸は対米自立路線を模索しているのです。
岸信介は一九五六年十二月、石橋内閣の外務大臣になります。このとき岸は、「旧安保条約はあまりにもアメリカに一方的に有利なものだ。形式として連合国の占領は終わったけれど、
高校生の時、新聞で岸首相の発言内容の奥深さに驚いたことを覚えている。深慮策謀ということより、言葉の真意を探っていくと、その時分析した方向性が後日明らかになってくることであった。政治家のすごさを知ったのであるが、硬軟を使い分けることが岸首相に可能であっても、池田ほかの単細胞政治家は、野党受けする強気の方向性を取り、お話のように退陣に追い込まれていったように記憶しています。
米国との交渉について卓越した岸信介にほかの政治家がついていけなかったというより、米国に対する見方が甘すぎたといえるのでしょう。岸信介が世の中で逆の評価をされていることが、日本外交の幼さを指し示しているのであるが、理解する人が少ない中で、岸信介を取り上げた意義は大きい。
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