フレデイ タンさん のコメント
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徳川慶喜は大政奉還を行います。朝廷が主体の政治になることが確定しました。
そのあり様が検討されます。
新しい体制で、一番重要な点は、有力藩の藩主が入っていますが、徳川慶喜が入っていないことです。
十二月九日一八時頃から、御所内・小御所にて明治天皇臨席のもと、最初の三職会議が開かれます。
会議は冒頭、中山忠能より開会を宣し、を述べて曰く、
「徳川内府政権を奉還し、将軍職を辞するを以て、其の請を充し給う。因て王政の基礎を肇設し、萬世不抜の国是を建定し給はんとす。各皆聖旨を奉体し、以て公議を盡すべし」との勅旨を述べます。
ここで、山内容堂が、「『此の小会議に速やかに徳川内府を召して出席せしめ、朝議に参与せしむべし』と述べます。
ここから、徳川慶喜の出席を巡り激しい議論が起こります。
会議は紛糾し結論が出ません。一時休憩となります。
その模様を晩年後述した
それはともかく、幕末の幕府の無能さにはほとほと参る。乱暴な長州人、薩摩人に翻弄されている。江戸幕府の成立にはイギリス製の最新鋭の大砲を使って関ヶ原の合戦を制したことが貢献している。その大砲の使い方を伝授したのがイギリス人のウイリアム・アダムスだ。彼は家康に気に入られて三浦按針という名をいただいた。
明治革命は薩長がやはりイギリス人のトーマス・グラバーから最新鋭の鉄砲(南北戦争で使われた鉄砲の数倍高級だったと言われている)を得たことで幕府、薩長の間の武力差は歴然としていた。幕府がちゃんと関ヶ原の勝因を理解して精進これ努めていたら、と本当に悔やまれる。
当時、幕府は財政赤字で四苦八苦。幕府は鹿児島戦争、下関戦争の賠償金をも全額払わされ、アベノミックスと同じように国民所得比の赤字は超大だった。それに加えて、武力もひ弱。乱暴な西郷に舐められるしかなかったということでしょう。
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