徳川慶喜は大政奉還を行います。朝廷が主体の政治になることが確定しました。

そのあり様が検討されます。

新しい体制で、一番重要な点は、有力藩の藩主が入っていますが、徳川慶喜が入っていないことです。

十二月九日一八時頃から、御所内・小御所にて明治天皇臨席のもと、最初の三職会議が開かれます。

会議は冒頭、中山忠能より開会を宣し、を述べて曰く、

 「徳川内府政権を奉還し、将軍職を辞するを以て、其の請を充し給う。因て王政の基礎を肇設し、萬世不抜の国是を建定し給はんとす。各皆聖旨を奉体し、以て公議を盡すべし」との勅旨を述べます。

ここで、山内容堂が、「『此の小会議に速やかに徳川内府を召して出席せしめ、朝議に参与せしむべし』と述べます。

ここから、徳川慶喜の出席を巡り激しい議論が起こります。

会議は紛糾し結論が出ません。一時休憩となります。

その模様を晩年後述した