• このエントリーをはてなブックマークに追加

p_fさん のコメント

userPhoto
p_f
> これは許さないというダレス国務長官の圧力で実施できなかった。

実は「ペンスの恫喝」もあったのでないか。万一2島決着を受け入れるとしても、在日米軍駐留が絶対条件だ、云々。
当然プーチンからはダメ出しを食らう。では、トランプにクビにされるのを覚悟で米国の恫喝を跳ね除け、プーチンに米軍基地を作らない約束して合意するか。
天木直人氏の見立て通りアベにそんな度胸はないだろう。果たして-
「北方領土問題の解決について合意したのではなく、交渉を続ける事を合意したのだ...そんなことは皆わかっているのに、メディアは大騒ぎをして、安倍『やってる感』外交の宣伝に躍起だ。笑い飛ばすしかない」━これが種明かしだ。
孫崎さんが示された通り「平和条約締結=2島返還で決着」でしかない。しかし、この係る2島の返還後の在り様を巡ってプーチンを説得できないのに、メディアはそんな事情を一切説明せず、さも「残る2島」の返還を巡って交渉に時間が掛かっているとかなんとか、お得意の欺瞞報道をするのが目に浮かぶようだ。
一方、長島某絡みのツイート、自民に入れて欲しいだけでないの。

Tips:
「孫崎享のつぶやき」-迷惑コメントを非表示にする方法━人混み選んで声張り上げる音痴に聴き入る音痴、みんな避けて通る街角
http://magosaki-blog-tips.blogspot.com
No.4
74ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
1956年の日ソ共同宣言は事実上の平和条約であった。つまり、ここでは、①戦争状態を終結決する、②友好善隣関係が回復される、③外交・領事関係が回復される、⓸ソ連は賠償請求権を放棄することが記載されている。 では何故平和条約と呼ばなかったからか。それは領土に関する合意が出来なかったからである。 ソ連は歯舞色丹を返す事には合意した。だが国後・択捉は自国領と主張した。日本側はこれを飲めなかった。サンフランシスコ講和条約で日本は千島を放棄し、吉田首相は国後・択捉は南千島と述べているから、日本政府は、①歯舞色丹を返す、②国後・択捉はソ連領で合意できた。これは許さないというダレス国務長官の圧力で実施できなかった。 今回平和助いう役を結ぶということは領土問題を決着するという点にだけ、意義がある。 それは①歯舞色丹を日本に返す、②国後択捉をロシア領とすることを日本が暗黙に認めることである
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。