りゃんさん のコメント
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1956年の日ソ共同宣言は事実上の平和条約であった。つまり、ここでは、①戦争状態を終結決する、②友好善隣関係が回復される、③外交・領事関係が回復される、⓸ソ連は賠償請求権を放棄することが記載されている。
では何故平和条約と呼ばなかったからか。それは領土に関する合意が出来なかったからである。
ソ連は歯舞色丹を返す事には合意した。だが国後・択捉は自国領と主張した。日本側はこれを飲めなかった。サンフランシスコ講和条約で日本は千島を放棄し、吉田首相は国後・択捉は南千島と述べているから、日本政府は、①歯舞色丹を返す、②国後・択捉はソ連領で合意できた。これは許さないというダレス国務長官の圧力で実施できなかった。
今回平和助いう役を結ぶということは領土問題を決着するという点にだけ、意義がある。
それは①歯舞色丹を日本に返す、②国後択捉をロシア領とすることを日本が暗黙に認めることである
ではなぜ北方4島はソ連が不当に奪ったことが目立たないのかというと、ポツダム宣言やサンフランシスコ平和条約があるからだが、ポツダム宣言やサンフランシスコ平和条約において日本に対する相手は連合軍(=国連)であり、その中心は、少なくとも日本に対する限りは米国だ。
つまり、戦中戦後の日米関係における米国には①素の米国(トランプが make America great again というときの米国)のほかに②連合国(=国連)をまとった米国があるのだ。そしてサヨクは①の米国には反発するが、②の米国には反発できない。国連(=連合国)をなにか良いものとおもっているからだ。そして②の生み出したポツダム宣言や占領や日本国憲法やサンフランシスコ平和条約も良いものだと思っているからだ。日本も国連(=連合国)のいち員になれるのが嬉しくてしょうがないからだ。
しかし米国からみれば、①を少し拡大したものが②であるにすぎない。①が②を利用しているにすぎない。そして②はポツダム宣言や占領や日本国憲法やサンフランシスコ平和条約だけでなく日米安保条約も生み出している。実際これがたとえば日米安保条約と国連憲章の構造にもあらわれている(くわしくは、矢部宏治の新刊「知ってはいけない2」にも書いてある)。
北方領土問題でも、「北方4島は、米国が共同正犯として、実行犯であるソ連が不当に奪った」「それを、ポツダム宣言やサンフランシスコ平和条約等で正当化した」のであり、ほんとうに反米だというなら、当然、そこを問題にしなくてはならない。サヨクは反米が足りないのだ。
わたしは観念をもてあそんでいるのではない。②の米国にはあらがわず、①の米国にあらがうことしか考えないなら、百年たっても米国からの独立はできないだろう。これはいずれさらに詳論することもあるかもしれない。
もっとも、もし返還されるなら、2島でも、されないよりはいいとおもっている。そして、くやしいが、それ以上が返還されることはないだろう。結局のところ、わたしは、くやしくても、チカラの論理を認める。チカラとは結局のところ軍事力だ。
しかし、サヨクはそれは認められないだろう。そうすると、どうやって2島のみ返還を合理化するのか。
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