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p_fさん のコメント

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p_f
また一つ大変興味深いエピソードを有難うございます。
武田久吉氏、今で言えば村田光平氏のような存在でもあったでしょうか。
尾瀬に行ったのは社会人になってからでしたが、ミズバショウの季節で余りの混雑に少々閉口した記憶があります。十数年前に再訪した時は至仏山からの眺望も最高で、高圧線・鉄塔等の興醒めする人造物が視界に一切無かったことにも大層満足しました。草紅葉が始まった頃で尾瀬ヶ原も人は少なく、散策も実に味わい深いものでした。
山も全く手入れがされなければ一般人はとても楽しめませんが、整備され過ぎ観光地化も度を超えると感動から程遠い場所となるでしょう。そのバランスが肝心と思いますが、その点でもスイスから学べることは多いのでないか。
一方では、いくら年を重ねてもおよそ「自然の楽園」などには何の価値も見出さない美意識ゼロの連中の餌食にされ続けているのが日本の山々だ。フクシマにも素晴らしい山がどれだけあることか。

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「孫崎享のつぶやき」-迷惑コメントを非表示にする方法━ウザ論!朝まで千日手!
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No.2
72ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
多分、皆様は、「夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬 とおい空」の歌『夏の思い出』をご存知と思います。もし武田久吉なかりせば、「水芭蕉の花が 咲いている夢見て咲いている 水のほとり」と歌われる情景が残っていたか疑問なのです。 尾瀬は、武田久吉によって世に紹介されました。 武田久吉は日本山岳会の創刊号(明治三九年)『山岳』に、尾瀬について書きました。当時尾瀬は「山深くして路なく交通便のよかざるが故に、人の行くこと稀にその名世に現れず。。。。紀行として尾瀬に関するものは殆んどなし」という状況で、世には知られていなかったのです。 そして、尾瀬の魅力について次のように書いています。 ・尾瀬ヶ原の一部は今我が目の前に展開されたり。ミズゴケのじくじくと湿りたる処にコミヤマリンドウの紫も唇綻ばせて、天を仰いで笑みをもらせる。この世のものとも思われず、、、 ・行く手には燧ケ嶽の巍然と
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。