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りゃんさん のコメント

武田久吉の名前はうちにあった古い岩波写真文庫で知ったのが最初だった気がする。

尾瀬やその周辺は、友人の山登りにつきあって、主に大学生のときによく行ってたが、
尾瀬の範囲でいうと、燧裏林道を歩くコースがいちばん好きだった。
でも、どこも良いし、何度行っても飽きない。

いま、尾瀬が残っていることと、そのことへの先人の努力に限りない感謝を感じる。
それとともに、たとえば昭和23ごろの自然観や民生の状態のもと、あのあたりに
ダムをつくろうというのも、十分ありえた考え方であったろうとおもう。
No.3
72ヶ月前
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多分、皆様は、「夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬 とおい空」の歌『夏の思い出』をご存知と思います。もし武田久吉なかりせば、「水芭蕉の花が 咲いている夢見て咲いている 水のほとり」と歌われる情景が残っていたか疑問なのです。 尾瀬は、武田久吉によって世に紹介されました。 武田久吉は日本山岳会の創刊号(明治三九年)『山岳』に、尾瀬について書きました。当時尾瀬は「山深くして路なく交通便のよかざるが故に、人の行くこと稀にその名世に現れず。。。。紀行として尾瀬に関するものは殆んどなし」という状況で、世には知られていなかったのです。 そして、尾瀬の魅力について次のように書いています。 ・尾瀬ヶ原の一部は今我が目の前に展開されたり。ミズゴケのじくじくと湿りたる処にコミヤマリンドウの紫も唇綻ばせて、天を仰いで笑みをもらせる。この世のものとも思われず、、、 ・行く手には燧ケ嶽の巍然と
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。