• このエントリーをはてなブックマークに追加

changeさん のコメント

日本は本来「家族主義社会」、「社会主義社会」であったとみなすべきでしょう。

大きな社会的転換は、高度経済成長を遂げ、日本は我が世の春を謳歌し、我々の気持ちが、互譲精神に富んだ精神文化から、我欲的物質文化に徐々に変質傾斜したことである。バブル崩壊後は、日本の方向付けができず、国民の不安が増し、お金万能が蔓延し、消費を抑え生活防衛し始め、預貯金に精出している。消費が増えるわけがないのです。

米国従属の中で、日本人としての矜持、精神的支柱が崩壊しており、「平和と戦争」は、「平和」と「戦争」が共存の中で成り立つという考え方を放棄し、「平和」の一点にのみ凝り固まっている。他国に干渉されない国土防衛を確保しなければ、歴史的に見ても「平和」が独立して確保できるものではないということが分からず、米国に政治的に押さえつけられながら、「平和憲法」にしがみついていては、対立した社会構造の中にあることが分からないため、日本の将来は見えてこない。閉塞感が漂っているだけである。米国の目的が成功しているともいえるのです。

従属意識が深まり、お金だけを信用する異常な社会の現出は、次にどのようなステップを踏むのであろうか。AIの本格的登場に対する確たる思想がないと、米国の次はAIが相手であり、恐ろしい人間社会が出てくるような気がします。
No.4
72ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
多分、皆様は、「夏が来れば 思い出す はるかな尾瀬 とおい空」の歌『夏の思い出』をご存知と思います。もし武田久吉なかりせば、「水芭蕉の花が 咲いている夢見て咲いている 水のほとり」と歌われる情景が残っていたか疑問なのです。 尾瀬は、武田久吉によって世に紹介されました。 武田久吉は日本山岳会の創刊号(明治三九年)『山岳』に、尾瀬について書きました。当時尾瀬は「山深くして路なく交通便のよかざるが故に、人の行くこと稀にその名世に現れず。。。。紀行として尾瀬に関するものは殆んどなし」という状況で、世には知られていなかったのです。 そして、尾瀬の魅力について次のように書いています。 ・尾瀬ヶ原の一部は今我が目の前に展開されたり。ミズゴケのじくじくと湿りたる処にコミヤマリンドウの紫も唇綻ばせて、天を仰いで笑みをもらせる。この世のものとも思われず、、、 ・行く手には燧ケ嶽の巍然と
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。