• このエントリーをはてなブックマークに追加

PL紳士さん のコメント

以下は、松本清張の作品の一つ「象徴の設計」より。 
 
 近衛兵の氾濫(竹橋事件 明治11年)に手を焼いた岩倉具視と山形有朋は、権力を支える軍隊に「精神的主柱」がないことを痛感。西欧におけるキリスト教の「神」に匹適するものとして、「天皇」を利用することを着想した。かくして天皇を現人神に仕立て上げ、これを神格化することで、「軍人勅諭」(明治15年)を発布した。そして、人民に受け入れがたいものは必ず「天皇の意志」であることを強調した。
 つまり、天皇制を設計したのは岩倉具視で、これを現実化したのが山県有朋である、というわけ。
No.11
72ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
明治維新、天皇利用の体制 ニューマン ジョセフ・ニューマンは一九一二年生まれ一九三七年に来日。英字紙の記者。一九四一年ゾルゲ・グループの情報を得て、ドイツのソ連侵攻を事前に報道する。帰国後一九四二年『グッドバイ・ジャパン』を出版。伊藤三郎著『グッドバイ・ジャパン』(朝日新聞社、一九九三年)に再録。その引用 ・(明治)憲法(一八八九年公布)に公布によれば「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」である。理論的には、これは天皇に絶対の権力を与えているが、不思議なことに天皇はこれを行使することをこれまでほとんど許されていない。  日本人は世界最長で途切れたことのない君主をよく自慢するが、その天皇がまずほとんど統治したことがないことは言いたがらない。一八六七年の革命(明治維新)で、独裁体制の徳川幕府が倒されたが、この昔からの根強い慣行は変わらなかった。変わったのは、軍事独裁者の一群が
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。