りゃんさん のコメント
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12日、映画「マイ・ブックショップ」を見に行く。上映の待ち時間に松井久子監督と一緒になる。松井久子監督とは『不思議なクニの憲法( 2016 年) - 松井監督』で知り合いになった。
松井監督は『レオニー』( Leonie ) 2010 年公開映画の監督であった。レオニー・ギルモアは、野口米次郎と出会い、カリフォルニアで出産、ヨネからの誘いもあり日本行きを決意、だが、野口米次郎は日本人女性と結婚、その子供が後の彫刻家、野口である。この時、レオニー役をしたのが エミリー・モーティマーで、今回の「マイ・ブックショップ」の主役である。それもあって、松井久子監督は見に来ていたのである映画の解説を見てみよう。 . 1959 年のイギリス、海辺の小さな町。戦争で夫を亡くしたフローレンスは、それまで一軒も書店がなかった町に夫との夢だった書店を開こうとする。保守的な町でそれを快く思わない町の有力者ガマート夫人
「不当な圧力に屈するのか屈しないのか、屈しない主人公に何が起こるのか、それが主題である」に加えて「華氏451度」というのなら、じつにありふれたよくあるお話という感じしかしない。広報も、そのようにおもわれるのが不本意で、「素朴でなつかしい景観をとらえた美しい映像」などという売り文句を考えたのではないか。
このお話が面白いものになってるかどうかは、「町の有力者ガマート夫人」の描かれ方が重要だろう。ガマート夫人が本屋を嫌う理由をいかに丹念に、もっといえば愛情さえこめて描いているかどうか。単に俗物として描いているのなら、深みのない量産型のマンガだ。
夫を亡くしたフローレンスには、もちろん「本屋を営業する自由」がある。しかしその自由は、町のみんなが本屋を受け入れる義務を意味しない。ゲンパツに反対する自由もあれば、基地に反対する自由もあり、同様に本屋に反対する自由もあるのだ。ガマート夫人には本屋に反対するために住民投票を画策する自由さえあるだろう。
ガキは自分の好きなものを美しく知的で素敵に想像し、嫌いなものを俗物と想像する。成長するにつれ、ものごとには色々な側面があることが理解できるようになるが、いくら年をとっても、いくら本を読んでも(どうせくだらない本ばかりだろうが)、アタマがガキなままの老人というものもいるようだ。
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