12日、映画「マイ・ブックショップ」を見に行く。上映の待ち時間に松井久子監督と一緒になる。松井久子監督とは『不思議なクニの憲法(2016年) - 松井監督』で知り合いになった。
松井監督は『レオニー』(Leonie)2010年公開映画の監督であった。レオニー・ギルモアは、野口米次郎と出会い、カリフォルニアで出産、ヨネからの誘いもあり日本行きを決意、だが、野口米次郎は日本人女性と結婚、その子供が後の彫刻家、野口である。この時、レオニー役をしたのが エミリー・モーティマーで、今回の「マイ・ブックショップ」の主役である。それもあって、松井久子監督は見に来ていたのである映画の解説を見てみよう。
.1959年のイギリス、海辺の小さな町。戦争で夫を亡くしたフローレンスは、それまで一軒も書店がなかった町に夫との夢だった書店を開こうとする。保守的な町でそれを快く思わない町の有力者ガマート夫人
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1959年時代の英国男女差別に興味を持った。
第二次大戦後、欧米諸国を中心に男女差別解消という思想が発展し、「性差別禁止法」なる男女平等の法律が英国において1970年代制定された。
ジェンダーギャップの解消及び男女共同参画を推進する法律は、1975年と1986年に制定され、具体的に、①直接的差別と間接的差別の禁止とか、②機会均等委員会の設立などが大きな力になったようだ。
このような時代背景の中で社会性を持ったドラマであり、日本よりは10年ぐらいは進んでいるが、英国は意外にも他の欧州諸国に比べて、男女差別が長く続いたということで、逆に明治政府が英国を手本にした一つの理由を見出せるのではないか。
古代ギリシャ人は言葉を大事にして、文字を発明し、ギリシャ哲学を完成させた。この哲学はヨーロッパ人の知性の原点でです。日本にも言霊という言葉があるくらい日本人はヨーロッパ人に負けない言語感覚を持ち、中国から漢字を輸入し、記紀を著しました。記紀は日本の知性の原点と言えましょう。
知性は本に在り、本からしか得られないと私は思っています。ところが、日本の保守と呼ばれる人々の多くは本を読まないのです。問題は、それだけで済ませばいいのですけど、本を読む人間を毛嫌いするのです。
トランプさんは本を読まないことで有名だし、安倍さんも読んでなさそうですね。両者とも知性に対して身構えているみたいで滑稽ですね。私が尊敬するシンガポールの元首相リークアンユー先生は世界有数の読書家でした。ジョン・エフ・ケネデイーも本を読んでいたそうです。
この映画では、知的で素敵な女性に対して、俗でスノビッシュな女性たちが群れて嫉妬し、嫉妬で済まず舞い上がって徹底的な嫌がらせに発展するみたいですね。是非、鑑賞したいものです。
この映画のことは、孫崎さんのこの紹介文ではじめて知った。あくまでそれを読んだだけからの感想で、もちろん映画を見てはいないが、
「不当な圧力に屈するのか屈しないのか、屈しない主人公に何が起こるのか、それが主題である」に加えて「華氏451度」というのなら、じつにありふれたよくあるお話という感じしかしない。広報も、そのようにおもわれるのが不本意で、「素朴でなつかしい景観をとらえた美しい映像」などという売り文句を考えたのではないか。
このお話が面白いものになってるかどうかは、「町の有力者ガマート夫人」の描かれ方が重要だろう。ガマート夫人が本屋を嫌う理由をいかに丹念に、もっといえば愛情さえこめて描いているかどうか。単に俗物として描いているのなら、深みのない量産型のマンガだ。
夫を亡くしたフローレンスには、もちろん「本屋を営業する自由」がある。しかしその自由は、町のみんなが本屋を受け入れる義務を意味しない。ゲンパツに反対する自由もあれば、基地に反対する自由もあり、同様に本屋に反対する自由もあるのだ。ガマート夫人には本屋に反対するために住民投票を画策する自由さえあるだろう。
ガキは自分の好きなものを美しく知的で素敵に想像し、嫌いなものを俗物と想像する。成長するにつれ、ものごとには色々な側面があることが理解できるようになるが、いくら年をとっても、いくら本を読んでも(どうせくだらない本ばかりだろうが)、アタマがガキなままの老人というものもいるようだ。