• このエントリーをはてなブックマークに追加

changeさん のコメント

「義」と「愛」を貫いた陽明学の書物としては、佐藤一斎の「言志四録」はひも解いているが、大塩中斎の「洗心箚記」は部分的な話は聞いている程度であった。
儒学は,「忠と孝」を重んじるが,朝廷への「忠」を念頭において、主君たる幕府に諫言を行った。徳川家康公も「仁政の基は寄る辺もない鰥寡孤児などに尤も憐れみを加えることだ」といっている。
又、漢高祖、明太祖が民を弔い君を誅し、天誅を執行したその誠以外の何物でもないといっている。

何がこの国をおかしくしてしまったか.。一番大きな問題は、教育の問題ではないか。米国と欧州では全く異なる思想が支配しており、日本はどちらかというと、欧州に近かった。教育現場で、個人の権利が義務をないがしろにしたため、物欲に上から下までまみれ、宗教色なき国民の間に、人間同士の助け合い、すなわち慈愛の精神がほとんど欠落している。この問題は、保守も野党も同じジレンマに置かれている。
No.1
70ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
1:骨子・大塩の乱は紛れのなく、挫折の一例である。 ・私自身の思い出の中に、今三島(由紀夫)と最後にかわした会話が甦ってくる。もしも西洋人が日本精神の本質を理解したいならば、日本人の持つ勇健精悍なたけだけしい英雄の典型として大塩平八郎を研究したらよい。日本精神とは王朝女官の日記や優雅な歌と歌とをかわすならわし、あるいは儀式的なお茶会などだけで代表されるべきものではない。 2:紹介:アイヴァン・モリス著『高貴なる敗北 日本史の悲劇の英雄たち』からの引用。 ・一八三七年大飢饉による民衆の窮状を目の前にしつつ、無為無策のままの幕府に抗議して、大阪の儒学者大塩平八郎中斎は「救民」を旗識のもとに兵を挙げた。ところがその挙兵は完敗した。大阪町奉行与力として立派な業績をあげていたこの指導者、そして同志たちは、同じ町奉行の捜索によって、ことごとく逮捕され極刑に処された。 ・戦後の日本は
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。