changeさん のコメント
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小泉八雲、 1850 年 - 1904 年(明治 37 年)、怪談 (kwaidan) 1904 年 - 耳なし芳一のはなし、むじな、ろくろ首、雪女、葬られた秘密、食人鬼、他で有名。
・日本の教育は、見かけは西洋風でありながら、外見とは全く反対の方式に行われている。その目的は、個人を独立独歩の行動を出来る様に鍛えるのではなく、個人を共同的行為にむくようにーつまり、厳しい社会機構の中に個人が妥当な位置を占めるのに適するようにー訓練を施すことであった。我々西洋人の間では、強要抑圧は子供時代に始まり、その後徐々に緩めめられる。この国での強要抑圧は、後になってから始められ、その後段々締めつけが強まってゆく。
・クラス生活の調整は、多数に対し一人が独裁力を振るうという事ではない。多数がひとりを支配していくというのが常道であり、-その支配力たりや実に強烈なものであるー意識的にしろ無意識的にしろ、クラス感
孫崎さんも承知していると思うが、私は、戦後教育を受けており、新制度に代わってから10回目の卒業になる。孫崎さんは4年後の卒業で14回目ということになる。
私の卒業した高校は、自由主義を標榜しており、新制度になってから,校歌なども教師と生徒が一緒になって作っていったし、行事なども生徒の自主性に任されており、学校、教師が干渉することなどなかった。大学はどこも学生の意思が尊重された。
卒業後会社に入っても、新しいことに挑戦する人が求められた。1965~1975年は、新しい市場開拓新製品開発が一番大切なことであり、何か仕事をすれば、必ず成果がついてくるし、給料のアップが30%を超える年度もあり、上を見て仕事をするというより、目前にある仕事を処理していくのに、苦労した時代であった。振り込まれる給料がいくらなどということを確認したこともなかった。
潮目が大きく変わったのは、よく覚えていないが(調べればわかることであるが)、多分、バブル崩壊が端緒であったのではないか。入社してくる新人たちは、仕事を指図しなければ仕事をしない、指図待ち仕事待ちの人間ばかりになっていったと思う。自主性が消えていったのが、現在に続いている。
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