なしさん のコメント
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年号、「令和」、出典は万葉集。「令和」の出典は「万葉集」巻五の「梅花(うめのはな)の歌三十二首并(あわ)せて序(じょ)」。「初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす」から引用
貧窮問答歌
(甲)風雑 ( まじ ) り 雨降る夜 ( よ ) の 雨雑り 雪降る夜は
すべもなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ
糟湯酒 ( かすゆさけ ) うち啜 ( すす ) ろひて 咳 ( しはぶ ) かひ 鼻びしびしに
しかとあらぬ 髭掻き撫でて 吾 ( あれ ) をおきて 人はあらじと
誇ろへど 寒くしあれば 麻衾 ( あさふすま ) 引き被 ( かがふ ) り
布肩衣 ( ぬのかたきぬ ) ありのことごと 着襲 ( そ ) へども 寒き夜すらを
我よりも 貧しき人の 父母は 飢ゑ寒からむ
妻子 (
ただの言語好きのディレッタントですから。
辮髪の強要についてはその事実を含めて知らないというのが
本当のところです。
普通、支配民族は被支配民族に自分たちの文化や流儀を
押し付け、被支配民族はそれを喜んで受け入れるものです。
その方がその体制の中で有利に働きますから。
ただし、満州族が大陸を支配した時、自分たちの言葉を
漢族に押し付けず、むしろ自分たちが進んで漢語を使ったことは
理解できます。
それは少数民族が圧倒的な多数民族を支配することの無理から
きています。
そしてもう一つ、韓国ドラマ好きなフレディさんならよくご存知
でしょうが、女真族など朝鮮人からはまともな人間扱いされない
蛮族でした。
ましてや漢族からは。
というわけで、満州族は幸運な偶然も作用して大陸を支配することに
なっても、自分たちが文化的に漢族に対して優位な民族とは
思わなかったはずです。
むしろ漢族に対してコンプレックスがあった。
それが、満州族がすすんで漢語を使った理由だと思います。
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