changeさん のコメント
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山縣有朋は 1873 年初代の陸軍卿となり、明治政府においては「国軍の父」とか、「日本軍閥の祖」と称された。彼の軍思想は様々な形に変遷するが、次第に攻撃的な色彩を強め、「外交政略論」(明治二十三年)で明確化する。特徴は「利益線」の防護にある。
「今列国の際に立て国家の独立を維持せんとせば、独り主権線を守禦するを以て足れりとせず、必や進で利益線を防護し常に形勝の位置に立たざる可らず。利益線を防護するの道如何、各国の為す所苟も我に不利なる者あるときは、我れ責任を帯びて之を排除し、已むを得ざるときは強力を用ゐて我が意志を達するに在り。蓋利益線を防護すること能はざるの国は其主権線を退守せんとするも、亦他国の援助に倚り纔かに侵害を免るる者にして、仍完全なる独立の邦国たることを望む可らざるなり。今夫れ我邦の現況は屹然自ら守るに足り、何れの邦国も敢て我が彊土を窮観するの念なかるべきは何人も疑を容れざ
①守勢戦略=領土に侵攻してきた敵を自国内で撃破する
②攻勢戦略=領土外に存在する敵を領土外で撃破する
に分けている。
ご投稿のように、山形有朋は「外交政略論」で日本の利益線の基点は朝鮮としている。
この考え方の基本は、オーストラリアの国家学者シュタイン氏の影響を強く受けている。守勢戦略は、日本は陸続きではなく、7か所ぐらいの要港の防御を堅固にすれば、日本国の防衛は全うできるということである。孫崎さんご指摘のように、結果論で言えば、利益線を朝鮮に置いたために負けたともいえるのでしょう。
現在この考え方を取り入れたらどのような戦略論がとりえるか。考えてみると面白い。守勢=自衛=攻勢が一体的でなければ、「外交政略論」となりえないのでしょう。守勢=自衛=攻勢をしないという考え方はあり得るが、米国従属国家として、外交政略論はあり得ないということになる。日米同盟の枠は外せず、外交政略論をとろうとすれば、「憲法改正」問題は避けて通れない。
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