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フレデイ タンさん のコメント

トルーマンのこの回顧は自分の深刻な犯罪を隠す意図を以て書かれた小説風小文に見えて仕方ありません。何故なら、次のような米国側の事情が厳然とあるからです。

1.太平洋戦争の海軍のトップがニミッツ提督です。彼は真珠湾攻撃を避ける為に沈んでも良い使い物にならない艦船をパールハーバーにそのままにして残し、決定的に重要な空母を安全地帯に避難させてている。米が本格反撃に転ずれば、1943年末には日本を降伏させることが出来るという戦略をも併せ持って居た。言い換えれば、フィリッピン、沖縄はほっとけというもの。私はこれを桶狭間戦略と呼んでいる。朝鮮戦争の時のインチョン上陸も桶狭間戦略の一つだ。

2.一方、トルーマンは原爆を日本に落としたかった。原爆の完成はまだ先のことだった。従って、ニミッツの小投資額で大勝利を得る賢い戦略には合意しなかった。トルーマンにとって時間延ばしは不可欠。当然、マッカーサーのフィリッピン奪還作戦を採用し、多大な犠牲も辞せず、且つ沖縄の玉砕戦まで徹底的にやってのけた。米軍の死者の数は無視出来ないほど大きくなった。が、トルーマンは動じなかった。彼の頭は広島に原爆を落とすという悪魔の戦術に拘っていた。

3.なしさんがおっしゃったように日本兵は奴隷だったから、山中ゲリラで本土決戦はあり得なかっただろう。戦いが始まった途端に食糧は前線に運ばれ、銃後は飢餓状態になっていたからだ。更には日本人に15世紀のインカ帝国のインカ人と同じ心理があることを無視出来ないのだ。インカ人はスペイン人が略奪、支配にやってきたのに、馬に乗って銃撃つ姿を見て神の到来だと歓迎した。それと似て、マッカーサーが厚木に降りた時、日本人の99.99%が救世主到来と感じたのだ。今もそのように感じて居る人がこの板にもいるから間違いない。

一つだけ付け加えるが、岸信介氏も救世主到来を感じはしたが、インカ人の素朴な受け入れではなく中国大陸に向けての反攻を今度は星条旗の下でやりなおそうと思っていたことだ。それを保証するかのようにグッドバイジャパンと言って帰米した駐日米大使のグルー氏との再会が間近に迫っていたのだ。
No.1
64ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
「米国は原爆が何故を落としたか」は、現代史の大きいテーマ。犠牲者を如何に少なくする かが米側の意図。 トルーマンは一八八四年生まれ。一九四五年四月から一九五三年一月まで米国大統領。日本 と深く関わる。著書『トルーマン回顧録』(恒文社、一九六六年)からの引用。 ・この当時、私が考えていた事は、如何に早く太平洋戦争を片づけるかという事だった。 ・沖縄と硫黄島は敵の守備が厳しくて、我が将兵の損害も甚大だった。 本土に近づけば近づ くほど、ますます敵が死物狂いの抵抗 をすることを知っていた(中略)。大きな損害を出し ながら、我が軍が太平洋を進撃する時、ソ連の参戦を速めれば、幾十万、幾百万の米国人の 人命を救うことになると考えた(中略)。(ポツダム会議での)軍事顧問達はソ連が参戦する よう強硬に主張した。 ・原爆の第一回爆発を知らせる歴史的電報が七月一六日スティムソン陸軍長官から来た。 ・陸軍の計画では
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。