フレデイ タンさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
自然⑤イタリア人学者
〈(伊勢神宮)大きな建物、柱、塔、モニュメントがあるのではないか。ところがそんなものなど、どこにもない。(人々は)一つの小さな、(先史時代のスタイルで建てられた)飾り気のない小屋に収斂される。〉(
〈自然と共生すること! 彼等は理解したんだ。自然は、人間の作るどんなものにもまして、万物の根本的な尊敬を呼び覚ますことを。〉
出典:フォスコ・マライーニ著『随筆日本―イタリア人の見た昭和の日本』(松籟社、二〇〇九年)
■解説
私たちは伊勢神宮や出雲大社を訪問する。広大な自然がある。神社自体の建築は目を見張るものでない。しかし、自然に入ること、そのものに意義があると考えると違った視野が広がる。フォスコ・マライーニは一九一二年生まれ。一九三八年来日。一九四一年に京都帝国大学の教員になる。戦後、フィレンツェ大学教育学部で日本語・日本文学科を創設した。マライーニは伊勢神宮を訪れて、
日本の建国以来の歴史に私なりに総括を与えると次のようになります。
大和朝廷が成立する前は動乱の時代が続いていた。今の中東や戦前の中国みたいなものだった。中東の石油、中国の膨大なマーケットを獲得すべく外部からの侵入者と現地人の争いなのだが、当時の日本は米作耕地が無限に存在し、半島、大陸から米作耕地を求めて帰化人が殺到し争いが絶えなかった。その争いに終止符を打ったのが大和朝廷でした。そして平和宣言が出され、それを支える為に仏教と神道が国教となった。
ポルトガル人が売り込んだ鉛と火薬は日本に戦国時代をもたらし、凄まじい動乱になった。それに終止符を打ったのが徳川家康。彼の対外政策は慎重を極め、最終的に朝鮮、中国、オランダに限って門戸を開放した。その結果、絶対的平和が日本にもたらされたのだ。
そしてまた、今度はアーネストサトウたちがやってきて、革命が起き、日本は軍国主義国家を目指しひたすら走った。その結果は言うまでも無く惨めな敗北だった。しかし、それを相殺するに余りある平和を日本人は得たのである。このまま、進めば、世界に冠たる民主国家としてリスペクトされる筈なのに逆の方向を向いて動いている。
聖徳大使が今も尚崇められているのは当然として、徳川家康の評価が低すぎる。敗戦後一時期、家康ブームが起こったが、今、はかばかしくない。お伊勢参りは江戸時代に江戸の町人間でブームになっていたのだ。伊勢神宮は平和の神社なんです。積極的平和の神社でないことだけは明らかです。
Post