自然⑤イタリア人学者
〈(伊勢神宮)大きな建物、柱、塔、モニュメントがあるのではないか。ところがそんなものなど、どこにもない。(人々は)一つの小さな、(先史時代のスタイルで建てられた)飾り気のない小屋に収斂される。〉(
〈自然と共生すること! 彼等は理解したんだ。自然は、人間の作るどんなものにもまして、万物の根本的な尊敬を呼び覚ますことを。〉
出典:フォスコ・マライーニ著『随筆日本―イタリア人の見た昭和の日本』(松籟社、二〇〇九年)
■解説
私たちは伊勢神宮や出雲大社を訪問する。広大な自然がある。神社自体の建築は目を見張るものでない。しかし、自然に入ること、そのものに意義があると考えると違った視野が広がる。フォスコ・マライーニは一九一二年生まれ。一九三八年来日。一九四一年に京都帝国大学の教員になる。戦後、フィレンツェ大学教育学部で日本語・日本文学科を創設した。マライーニは伊勢神宮を訪れて、
コメント
コメントを書く私たち日本人の気質は、自然だけでなく、物に対しても、他人に対しても、自己と同じ扱いをする。
最近は,機械が主流であるが、昔は手作業が多かった。着物などを縫う針に対して、折れたり、先が摩耗したものを「針供養」と言って感謝の気持ちをあらわした。
昨日TVを見ていたら、日本で使われた重機が外国人に人気があることを知った。日本人は、毎日使うものに対して、きめ細かに手入れするので、中古と言っても使用上は問題なく、安い買い物とみられている。
家屋は最近大工でなく量産型に変わっているが、庭園などは自然との調和を重視しており、西欧の人口的美と自ずから異なっている。
最近は、米国の圧力で消えかかっているが、年功序列で皆が助け合い、徐々に資格、職位、給与が上がっていくシステムによって、個人尊重を重視し、人を蹴落とすというような悪い人間関係でなかった。人の痛みを、皆が分け合って生きてきた。
中国でほとんど死んでしまった仏教「禅宗」などは見事に日本で花開き、日本ではその精神が、「柔道」「剣道】「茶道」など「道」という「道」に行きわたっている。
日本の良き精神構造が、「団結」すると一糸乱れず最高の技術的水準を作り出し、最高の品質を作り出し、最高の製造技術を作り出している。戦争に勝ったが、経済戦争で負けた米国によって、さまざまな圧力がかかっているが、迂回しながらも、日本の団結力を強化している。柔道のように他人の力を利用することに秀でている日本人は,米中が争えば争いほど、日本の力をを強化していくのでしょう。
一番不思議な結果になっていると思うのは、「憲法護持」の自衛力は確かに攻撃力としては、今一つといえるが、自衛力強化に磨きをかけることによって、例えば「潜水艦」などは世界一ではないか。防御は攻撃に優先するという考え方に立てば、最近日本は「憲法護持」で進んでいくほうが、技術力の水準が上がるのではないかと思うようになった。日本人の心の柔軟性・環境対応力・勤勉性のたまものでしょう。
伊勢神宮はご解説の通りです。そういうアミニズムのスピリットを今も尚大切にしている日本は素晴らしい。今後も、そのスピリットを維持、拡大、発展させていくことが日本が選ぶべき唯一の道だと私は固く思っています。
日本の建国以来の歴史に私なりに総括を与えると次のようになります。
大和朝廷が成立する前は動乱の時代が続いていた。今の中東や戦前の中国みたいなものだった。中東の石油、中国の膨大なマーケットを獲得すべく外部からの侵入者と現地人の争いなのだが、当時の日本は米作耕地が無限に存在し、半島、大陸から米作耕地を求めて帰化人が殺到し争いが絶えなかった。その争いに終止符を打ったのが大和朝廷でした。そして平和宣言が出され、それを支える為に仏教と神道が国教となった。
ポルトガル人が売り込んだ鉛と火薬は日本に戦国時代をもたらし、凄まじい動乱になった。それに終止符を打ったのが徳川家康。彼の対外政策は慎重を極め、最終的に朝鮮、中国、オランダに限って門戸を開放した。その結果、絶対的平和が日本にもたらされたのだ。
そしてまた、今度はアーネストサトウたちがやってきて、革命が起き、日本は軍国主義国家を目指しひたすら走った。その結果は言うまでも無く惨めな敗北だった。しかし、それを相殺するに余りある平和を日本人は得たのである。このまま、進めば、世界に冠たる民主国家としてリスペクトされる筈なのに逆の方向を向いて動いている。
聖徳大使が今も尚崇められているのは当然として、徳川家康の評価が低すぎる。敗戦後一時期、家康ブームが起こったが、今、はかばかしくない。お伊勢参りは江戸時代に江戸の町人間でブームになっていたのだ。伊勢神宮は平和の神社なんです。積極的平和の神社でないことだけは明らかです。
>>2
素晴らしい文章ですね。いいですね!