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changeさん のコメント

当時のことを思い出すと、日本の進むべき道が分水嶺にあったと認めざるを得ない。

安倍政権から福田康夫内閣に移ったが、政権の成立は、薄氷を踏むようなものであった。衆院で福田338票、小沢117票、参院で福田105票、小沢133票であった。一歩間違うと自民党は政権を失いかねない状況にあった。福田氏は、米国の軍事的要求など強い要求を止めるには大連立しかないと考え、小沢に持ち掛け、小沢は了解したが、時の鳩山以下民主党幹部がこぞった反対し、成立することがなかった。この時大連立が成立していたら、日本の状況が現在大きく変わっていたと思われる。

町村は福田政権の官房長官であり、自民党が瓦解し始めた時であり、福田政権は、北との拉致問題・国交正常化に力を入れており、韓国と大きな摩擦を起こしたくないという政治的思惑が、今日的問題につながっている。結果的に見れば、町村の判断ミスのようであるが、与党だけでなく野党の多くが問題しなかったのではないかとみているが、当時の野党・マスコミの論調を調べてみたい。

結果論で、とやかく言うことはできるが、戦争と同じように、皆どのように考えていたかが問われるべきでしょう。
No.1
64ヶ月前
このコメントは以下の記事についています
A: 事実関係:鳩山元首相のツイート。 N 国の立花代表が竹島を戦争で取り返すしかないと発言した丸山議員を、表現の自由と擁護した。日本の戦争放棄は憲法で謳われている。もし竹島の領有権を主張するなら、なぜアメリカの地図に竹島は韓国領とされたときに、日本政府は反対しなかったのか。ポツダム宣言で離島の主権は連合国が決めるのだ。   B: 日本がポツダム宣言を受諾したのをどう位置付けるか。  日本はポツダム宣言を受諾して戦争を止めた。  ポツダム宣言には次の条項を有する。  八 カイロ宣言ノ條項ハ履行セラルベク又日本國ノ主權ハ本州、北海道、九州及四國竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ  さらに日本は1945年9月2日 降伏文書に署名している。 降伏文書には次の内容を持つ。 「下名ハ茲ニ「ポツダム」宣言ノ條項ヲ誠実ニ履行スルコト竝ニ右宣言ヲ実施スル爲連合國最高司令官又ハ其ノ他特定ノ連合国代表者ガ要求ス
孫崎享のつぶやき
元外務省情報局長で、駐イラン大使などを務めた孫崎享氏。7月に発行された『戦後史の正体』は20万部を超えるベストセラー、ツイッターのフォロワーも13万人を突破。テレビや新聞が報じない問題を、日々つぶやいている孫崎氏。本ブロマガでは、日々発信。週1回別途生放送を発信。月額100円+税。【発行周期】日々。高い頻度で発行します。