changeさん のコメント
このコメントは以下の記事についています
ハーバート・ノーマンは一九〇九年カナダ人宣教師の子として軽井沢町で生まれる。カナダの外交官。一九四五年GHQに対敵諜報部課長。『ハーバート・ノーマン全集』(岩波書店、一九七七年 ) に収録の論評「日本民主化の進展」(一九四六年三月ニューヨーク外交協会における講演の概要)より関連箇所をさらに引用する。
〈現在日本で遂行されている改革を永続させ、深く根づかせるような伝統に何があるのかを観ておくことが適切であると思われる。別の言葉で言えば、軍国主義、官僚制、民衆の従属性、確固とした知的均一性の日本とは別にもう一つの日本があるかということでもある。〉(「敗戦直後の日本の政治」ノーマンの死後に発表された)
〈多年にわたって積極的な政治活動から排除されていたため、日本国民は村落や近隣集団は別にして、自主政治(セルフガバメント)の経験を持っていない。〉
〈降伏後の日本の政治状況(一九四五年一二月まで)と一九
強弱・濃淡はあっても、日本は「天皇」・「支配者」・「人民」の3つに区分される。同じ日本人の支配者が変わるだけで、国民に対する税などの額が大きく変わるのではなく、支配者と共存共栄の関係にあったとみるのが妥当でしょう。他国のように異民族に征服されると、生活が一変し、生活困窮の度合いが極端に変化するわけでなく、支配者に対する憎しみが強くなることがなかったのでしょう。
日本独特の、仏教は「人間としての生き方・心の在り方を」を教えていますし、儒教は「人間としての身の処し方」を教えています。日本人は学ということに対して前向きであり、「仁・義・礼」の精神が組み込まれていけば、「支配者の心と体の在り方」が「人民の心と体の在り方」と異なることはない。
日本人同士、「天皇」・「支配者」・「人民」の相互の信頼関係が成り立っており、人民が獲得した民主主義ではないということにこだわる必要性はない。日本民族の伝統的相互信頼関係を日本的にどのように変えていけばよいかを議論すべきであって、「民主主義」の定義で、批判するのは的を外れている。
Post